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【積極目的規制?消極目的規制?】銭湯の価格統制について考えてみた

街を歩いていると、意外と見かけることがある銭湯。東京都内には何軒あるのか調べてみると、現在約560軒だそうです。

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個人的には結構あるなと思いますが、昭和43年には戦後最多の約2,700軒が存在していたことを考えれば、確実に衰退の一途を辿っているのが分かりますね。

それでも時々見かけるのです。大人460円(12歳以上)、中人180円(6歳以上12歳未満)、小人80円(6歳未満)。

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実は銭湯を利用したことがないので、これが高いのか安いのかはよく分からないところではありますが、どこの銭湯を見てみても料金はどれも同じような設定なんですよね。いわゆる相場なんでしょうねぇ・・・。

 

えっ!銭湯の利用料って統制価格なの!?

 

 

銭湯の入力料金の決め方

銭湯の入浴料金は、終戦直後に公布された「物価統制令」という法令に基づき、都道府県ごとに知事が統制額(上限額)を定めるとしている。

あくまで上限額であるので、これを下回る金額設定をすることは妨げられないが、ほとんどの銭湯が加入している『公衆浴場同業組合』の面々は揃って上限額で経営するため、基本的に横並びになるそうだ。完全に価格カルテル。しかも国・県のお墨付き。

水道やガス、電気に代表される公共料金ならば安定供給や経営保護の観点から統制価格を設けることの合理性が認められるが、なぜ銭湯についてもこのような規定が存在するのだろうか。

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統制価格の定立は積極目的規制なのか、消極目的規制なのか

経済的自由に対する規制の違憲審査基準

ここで憲法の時間だ。統制価格に入る前に、似た問題として配置規制について触れておく。

公衆浴場の営業規制、具体的には適正配置基準の判例では、積極目的規制・消極目的規制二分論の立場で基準の合憲性を判断してきた。

 

積極目的規制→国家が調和のとれた社会経済の発展を企図するため、積極的に経済的弱者を保護するための規制。

 

消極目的規制→夜警国家の考えに準拠して、国民の生命を守るために課す必要最低限の規制。

 

具体的に見てみる

公衆浴場法第2条第2項で、

都道府県知事は、公衆浴場の設置の場所若しくはその構造設備が、公衆衛生上不適当であると認めるとき又はその設置の場所が配置の適正を欠くと認めるときは、前項の許可を与えないことができる。

と規定している。「公衆衛生上不適当」の文言から読み取れるように、公衆浴場の設置許可を何の制約も無しに出すようなことがあれば、価格競争が激化し、いわゆる「安かろう悪かろう」の経営が芽を出すことになる。それがひいては、サービスの質の低下及びコストを切り詰める→衛生状態の悪化→国民の健康や生命に悪影響を与える恐れがあることから、これに規制を加える。

どう考えても消極目的規制なのだ。

 

ただ古い判例では、公衆浴場は自宅に風呂がないのが当たり前の時代において、人が人らしい生活を送るために必要不可欠な厚生施設であるとする。そのような貴重な施設が経営難により廃業に追い込まれないよう、許可に規制を加えて公衆浴場の乱立を防ぐという趣旨であるとする積極目的規制からのアプローチを試みるものもある。

結論

正直、どちらが正しいかわからない。というよりも、どちらも正しくないと僕は考える。

 

消極目的規制の論旨を読んでみても、「そんな“風が吹けば桶屋が儲かる”理論は詭弁であって、屁理屈に過ぎない」と思う。

価格競争を勝ち抜くために「安かろう悪かろう」を全面に押して経営する愚か者は、現代の経済ではなかなか考えづらい。コストとサービスのバランスをとりながら、ギリギリの価格を攻め続けるだろう。そこに質の低下は一定程度は伴うだろうが、人体の生命を脅かすほどの衛生の低下に繋がるというのは、いささか暴論である。

 

一方で積極目的規制の論理だが、こちらは端から破綻しており、現代社会では「家に風呂がある方が当たり前」であり、必要不可欠な施設という意味合いが少なからずその根拠を失いつつある。現に銭湯は減少の一途を辿っており、設置許可規制が廃業を防ぎたいという目的とは噛み合っていない。

 

そもそも積極目的と消極目的のボーダーが曖昧で、またある意味繋がりあって循環する関係であるともいえることから、規制目的二分論自体の是非を問わなければならないだろう。

 

要するに、二分論で判断すべき問題ではない。

 

前提が長引いてしまったので結論をさらりと書くと、銭湯の利用料のについて統制価格を設けることは積極目的規制であり、かつ、消極目的規制であるように見えながらも、その実、どちらでもない。

 

その考え方は、適正配置基準におけるものと同じである。価格統制を行うことにより事業者が一定の利益を確保し、サービスの質を一定程度に保つことができると考えられるし、数が減少している事業者を特別に保護するために設けた規制とも取れる。

昭和の考え方を踏襲

憲法の話はこれくらいにして、この統制価格については「既得益の保護」の意味合いが強いようだ。

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公衆浴場はかつて多くの国民の生活に必要不可欠なものであって、適正配置基準や利益を確保するための統制価格、他にも特別な水道料金体系や固定資産税の減額などにより手厚い保護を受けてきた。

水道料金(都営水道の給水区域が対象)
公衆浴場営業、社会福祉施設、生活保護世帯等、皮革関連企業、めっき業
下水道料金(23区が対象)
公衆浴場営業、社会福祉施設、生活保護世帯、皮革関連企業、めっき業、医療施設、染色整理業、高齢者世帯(老齢福祉年金受給世帯)、生活関連業種(23業種)
(例)生活保護世帯の場合 水道料金は1月当たり基本料金(0~5m3を含む。)と使用水量6~10m3までの分に係る従量料金が減免されます。また、下水道料金は1月当たり8m3までの分に相当する料金が減免されます(東京都水道局HPより)。

www.gesui.metro.tokyo.jp

更にここにプラスして補助金が助成される。

補助金の割合や使途は各自治体によって独自に定められているが、用水のみならず、人件費や光熱費、減価償却費として設備補修などにも用いることができることができるため、経営に必要な費用を極限まで圧縮することができる。

しかしながら現代において公衆浴場の必要性が低下し、かつて強く誇示されていた準公共性とでもいうのだろうか、その特性を失っていった。もっとも、昔の名残から国による保護は健在であり、一度手に入れた座り心地の良い椅子を手放すのは惜しい。

「近隣住民の憩いの場」だとか「現代における貴重なコミュニティ」というような耳障りのいい言葉で既得益を保持しようというのは分からなくはないが、上に挙げた手厚い保護の裏側には税金による補填が存在するのである。納税者を納得させられるだけの十分な理由といえるだろうか?

 

銭湯には何の恨みもないけれど、準公共性という理論的根拠を失いつつある現代においては、その保護体系についてもう一度見直すべきではなかろうか。