嵐山光三郎さんの本は何冊か読んでいますが、その中で繰り返し読んでいる本は下の『「下り坂」繁盛記』です。
「人生下り坂」とか「景気が下り坂」というと誰もがマイナスイメージを受けますが、著者は❝下ることに価値がある❞としています。
今回はこの『「下り坂」繁盛記』について、本文で特に印象深かった冒頭部分を引用しながら下り坂の魅力を紹介していきたいと思います。
「下り坂」繁盛記
下り坂の極意
私は下り龍である。下り龍は手に負えないぞ。
下り龍とは、天から地へ下ろうとする龍であって、上り龍ではない。絶頂期はとうの昔にすぎた。やりたいと思ったことはやりつくした。
だからいつ死んでもいい、というわけにはいかない。ほうっておいても死ぬときは死ぬのである。下り龍というのは厄介な化物で、と自分でいうのもおこがましいが、下りながら好きほうだいに暴れるのである。
金はない。少しはあるけど、あんまりない。体力も落ちて、そこらじゅうにガタがきている。中古品を通りこして骨董品である。それも値のつく古道具ではなく二束三文のガラクタである。ろくなもんではない。けれど生きている。平気で生きている。
下り坂を降りることはなんと気持ちのいいことなのか、と思いつつ生きている。
こんなにワクワクする出だしがあるだろうか。
最後まで読み切ってみれば分かるが、この書籍の肝は上に引用したものであり、これがすべてである。
人間誰しも等しく年を取り、老いていく。
若い頃の体力なんて見る影もないし、記憶力だって悪くなる。
脂っこいものは食べられなくなり、夜更かしもできなくなってすぐ眠くなる。
人間年を取ると丸くなるなんて言うけれど、短気になる老人もいる。
「老い先短いから焦って短気になるんだ」と指摘すると、激怒する。
老いを素直に受け入れよう。
自転車に乗っている自分を想像してほしい。
ずーっと上を目指して坂を上り続けていると、途中で老いた自分に鞭を打たなければならないから辛かろう。
上の上にはさらなる上がある。
そろそろ上を見るのは止めて、下り坂を駆け下りてみたらどうだろうか。
ふっと力を抜いて、自転車が下るままに身を任せてみる。
上り坂では天辺ばかり見ていて視野が狭くなっていたけれど、下りになった途端に視野が開け、頬に当たる風の気持ちよさに気づくだろう。
下ることは悪ではない。
「下る」こと自体に価値がある。これが著者の持論である。
ゆるりといなす生き方
作品の冒頭で「下り坂」の極意を示したのちに本文に入るのだが、著者は「下り坂を楽しむならば〇〇するべし!」だとか「自分は△△しているから下り坂を満喫できている」というような押しつけがましいことは何一つ言っていない。
書かれているのは著者が年を取ってからの交友関係、趣味、仕事への向き合い方、その他日常生活のあれこれだ。
しかし、そのひとつひとつが魅力的で風流に見えてしまうのは、嵐山さんが必死に「上り坂」を上り切り、ようやく手を放して「下り坂」を楽しみ始めたからなのだろう。
下り坂の気持ちよさは上り坂をどの程度の熱意をもって上ってきたかに全てがかかっている。
これは冒頭の「絶頂期はとうの昔に過ぎた」「やりたいと思ったことはやりつくした」に現れている。
漫然と過ごした人生には“そこそこの下り坂”しか用意されていないということだ。
自分に照らしてみると
今まで何を成し遂げたか
僕はまだまだ自分の人生下り坂だというには若すぎるし、これからやらなければならないことも沢山ある。
今までの人生でどこまで上ってきたのか、何を成し遂げてきたのかと言われればそれほど大したことはしていないし、上った坂もそれほど急ではないだろう。
夢半ば
ただ、僕も昔はある夢を追いかけていて、それなりの努力はしてきたつもりだ。
そして、その過程で何度か夢に指がかかる感触はあった。
しかし、もう一押しの努力が足りずに志半ばに夢を諦めて、今は平凡だけど穏やかな暮らしをしている。
その経験が今の生活に少なからず良い影響を与えているし、ものの考え方や自分の芯になるものはそこで形成されたものといえる。
上を見ているときは視野が狭くなる。「夢を叶えること=自分の存在価値」であるとまで錯覚する。
他の可能性を見ようとしないのではなく、見えないのだ。見る余裕がないといってもいい。
夢から醒めるのが新たな始まり
夢を見るのは気持ちがいい。
真っ直ぐ見つめていれば他のことを考えていればいいのだから。
でも、残酷ながら夢には期限がある。
いつまでも夢を見続けているわけにもいかないので、どこかでスパッと夢を諦める。
今までの拘りとか自分の情熱の矛先だとか周りの目だとか期待だとか、そういったものを全部放り投げてみる。
すると、今まで見えなかったものが見えてくる。物事の陰影までもがはっきりと。
こんなに世界は多彩な色で溢れていたんだと気づかされる。
乗り越えられなかったけれど、乗り越える一歩手前まで頑張った自分へのご褒美なのだと思う。
上り坂を頑張った分だけ下り坂が気持ちいい。妙に納得させられる。
ちなみにまだ諦めていないもうひとつの夢については前に書いたとおりです。