うたかたラジオ

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『ひとりメシの極意』@東海林さだお

当ブログで何回か取り上げている東海林さだおさんの新作、『ひとりメシの極意』。もちろん買いましたとも。そして読みましたとも。

 本作、実は著者初の新書なんですよ。確かに言われてみれば、いつも読んでいる「丸かじりシリーズ」は単行本→文庫ですし、その他の書籍についてもその流れに従っています。

そもそも僕は新書を敬遠してしまう質で、「文庫化するのであれば文庫化したものを買いたい」と思っています。

持っているブックカバーは文庫サイズだし、謎の「気軽に読めない感」が気になってしまうんですよね。

そんな僕もさだお氏の初新書化を祝して、発売日当日に最速で手に入れたのです。

なんだかんだで読み終わったのは2週間後ですけどね。

 

 ひとりメシの極意

本書は大きく2つに分けることができ、「太田和彦さんとの対談パート」「いつもの食エッセイ」で構成されている。

前者は2018年夏に都内某所の居酒屋で対談した内容を収録しているため書下ろしだが、後者は見知った過去作を❝ひとりメシ❞をテーマに再編集したものである。

ラーメンだとか定食だとか弁当だとかをひとりでひっそり楽しむ姿が多く収められている。ちなみにそういう作品大好き。

さて、中身に触れる前に外装を見ておこう。

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「本当に新書なのか?」と思えるくらいのマスタードカラー。

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一枚めくると普通の新書。朝日新書はなかなか粋なことをする。さだお氏の本はこの特徴的なイラストがないと寂しいもんね。

 

さてさて、過去作についてはほぼすべて読了済み(絶版本の一部はまだ)なので、「読んだことあるなー」というものが大半だったが、相変わらず面白くて読めるときはぐいぐいと読み進んでしまった。特に印象的だったいくつかを紹介しておく。

 

【ひとり生○○○】p.98-

全長二十二センチ、直径三センチのエビが堂々二本、マカロニサラダとトマトを従え湯気をあげて横たわっている。

アツアツ、トゲトゲのとこにタルタルソースを無視してソースをかけ、ナイフでブツリと切って口に入れる(p.103)。

平日昼の2時3時のビアホール。ワクワクするシチュエーションだ。

そして、麦のお水とエビフライ。至福ではないか。ただ、昨今のエビフライには一つ苦言を呈したい。

なんだそのやる気のないエビフライは。体たらくも甚だしいぞ。

中のエビは切れ目をたくさん入れて細長く伸ばして、衣で大きく見せているだけでエビ感が全くないじゃないか。

「ナイフでブツリと切れる」エビフライが食べたいんだ。

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そう、こういうエビフライ。「エビが感じられるなー」ではなくて、「断面、是、海老」。そんなエビフライを食べようと思ったら2,000円は出さないと望むものには出会えないだろう。嘆かわしい。

誠実なエビフライを出すお店に入り浸りたいものだ。そういうお店がなかなかないんだ。

 

【おにぎりの憂鬱】p.210-

おにぎりは中心に具、周囲にゴハンという構造になっているため、最初の一口には具が含まれない。

歯の先が具のところまで届かず、ゴハンだけの一口となる。

ぼくはこれが嫌なのです。絶対、嫌。

一口分のゴハンには適量のおかずが含まれていないと絶対に嫌(p.211)。

 さだお氏は長らくこの❝おにぎりの最初の一口問題❞に苦心しており、これが日本人の共通認識として浸透しているかと思っていたのだが、「おかず無しのゴハンをそれなりに楽しむ派」の存在に衝撃を受けているシーンから話は展開される。

僕は「それなりに楽しむ派」の気持ちがわかる。

ちょっと海苔が湿っているところをガブリ。塩とゴハンと海苔が混然一体になった味わい。うーん、地味だけど染みる美味しさだなぁ。日本人でよかったなぁと思う。

そして、具がなくてもそれなりに楽しめるのだろうけれど、鮭だったり明太子が中に入っていると思うと待ち遠しいし、いつ掘り当てるんだろうという期待感・緊張感もやはり捨てがたい。

具があるの前提でおかず無し部を味わっている余裕というかな、そんな感じだ。

さだお氏は「それなりに楽しむ派」に一定の理解を示しつつ、こう説く。

ぼくにとっておにぎりは、無念と残念と用心とおそれと後悔と憂鬱の食べ物なのだ。

おにぎりは初期無具期、中期少量有具期、中心部最盛具期、中心部を過ぎてまた中期少量有具期となり、最後の具絶滅期となる。

一個の歴史は変化に富んでいるといわねばなるまい(p.214)。

 この独特の造語センスがさだお節である。

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↑日食の様子みたいだ。

縷々変遷するおにぎりのゴハンと具のグラデーションに一喜一憂しながら、創意工夫を凝らしながら一つの歴史を楽しむ。

彼にとってはおにぎりは一つの宇宙の歴史なのかもしれない。

 

【カツカレーの正しい食べ方】p.222-

カツ全域にカレー汁をかけるべきか、下半身のみとするか。

スプーンで食べるのか、箸も併用していいのか。

カツにソースをかけてもいいのか、いけないのか。

福神漬けは添えるべきなのか、添えてはいけないのか。

カツカレーを心から望んで注文しておきながら、いざカツカレーの皿が目の前に置かれると、心ときめくものがあると同時に、厄介なものを背負いこんでしまったな、これからしばらく面倒なことになるな、という心境になるのはそのためなのだ(p.224)。

 なんて難儀な食べ物なんだ。事態は錯綜する。個人的にはカツカレーにおけるとんかつのカレーのかけ方は下半身のみが好ましく、箸は併用しない、ソースはかけない。福神漬けはつけるべき。この考えである。そして、さだお氏も全く同じである。

師匠、付いていきますよ。

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 ビジュアルは断然⑥だろう。

普通のカレーならば、ゴハンは右でカレーが左。右利きだからね。しかし、カツカレーになるとゴハン上のカレー下、カツにはカレー半掛けが最も食欲をそそる。さだお氏もやはり⑥。師匠、どこまでも付いていきますよ。

このへんで態度をはっきり決めましょう。

カツカレーはカレーである。

これで箸の問題もソースの問題も福神漬けの問題も一挙に解決する(p.227)。

 至言かつ見事な伏線回収である。カツカレーはカレーである、染みる言葉だ。

 

総評

相変わらずの高クオリティ。質が確約されてる短編なので、安心して読み進めることができる。飛ばして読むなんてとんでもない。

さだお氏は若い頃からオフィスを借りて自分の仕事場にしているので、同僚と連れ立ってランチに行くということはない。ひとりメシのプロである。

記事では紹介しきれなかったけれど、昼下がりの定食屋、ラーメン屋での楽しみ方や一人鍋の魅力などさだお氏ならではの独自の感性で面白おかしく描かれているので、過去の作品を楽しみたい方にはぜひおすすめである。ひとりメシはいいぞぉ。

 

↓東海林さだお作品の記事はこちら。

www.utakata-radio.com

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