現在東海林さだおさんの『丸かじりシリーズ』は40作出ており、そのうち38作目までは文庫化しております。
今回取り上げるのは、記念すべき丸かじりシリーズ第1作目『タコの丸かじり』です。
最初にざっくりとした感想を述べておくと、
「今では完全に確立された作風の原型は確かにあるけれど、色々な試行錯誤の過程が伺える」
ということと
「単行本は今から30年以上も前に発行されたものだけれど、古さを感じさせない普遍的な魅力を持っている」
ということの2点ですかね。
タコの丸かじり
1994年下半期の出来事
まずは文庫化された1994年8月10日。この頃(1994年下半期)の日本を振り返ってみよう。
7月
・日本人初の女性宇宙飛行士・向井千秋さんを乗せたスペースシャトルが打ち上げられる
8月
・初の気象予報士国家試験が行われる
・ジュリアナ東京閉店
9月
・関西国際空港開港
10月
・大江健三郎氏がノーベル文学賞受賞
11月
・セガ・エンタープライゼスが家庭用ゲーム機「セガサターン」を発売
12月
・ソニー・コンピュータエンタテイメントが家庭用ゲーム機「プレイステーション」を発売
・WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄と、WBC世界バンタム級暫定王者辰吉丈一郎の間で、日本人同士による初の統一王座決定戦が行われる。
11月にセガサターン、12月にプレイステーションとはゲーム業界には激震の年である。
とはいえ、完全に次世代機に移行したわけでもなく、SFC、NINTENDO64、ゲームボーイもまだまだ元気で発展途上。群雄割拠の様相を呈していた。
そんな時代に文庫化された『タコの丸かじり』を紹介していくこととしよう。
『究極のネコ缶を食べてみる』p.24-
これまでのネコ缶は、大体一缶を二回に分けて与えるようになっているが、このシリーズは、一缶が一食分の半分のサイズになっている。なぜかというと、❝毎回開けたての新鮮なおいしさを与える❞ためだという。
猫のエサは❝開けたて❞でなくていいのっ。❝閉めたて❞を食わせなさい。❝閉めたて❞を。(なんだかよくわからないけど)
❝新鮮なサーディンをおいしいゼリーでくるみました。リノール酸、フラクトオリゴ糖も強化したヘルシーフード❞というのもある。
なーにが❝ヘルシー❞だ。猫のエサを、ゼリーでくるむなって。フラクトなんとかというのも要らないのっ。
❝ビーフを食べやすい大きさにカット❞したのもある。
食べやすい大きさにカットしなくていいのっ。犬猫は自分でくいちぎるものなのっ。ほんとにもう・・・(p.26)。
ペット用フードの止まることのない進化に怒り心頭のさだお氏。この疾走感、紛うことなき天才である。
ああ、今東海林さだおの本を読んでいるんだなという安心感。
ここで普通の人ならば、「まぁ所詮ネコ缶だしな・・・」と冷静になり興味を失ってしまうところだが、彼は違った。
「そんなに進化しているなら食べてやろう」、そう考えたわけである。
え?なんだって?❝新鮮なサーディンをおいしいゼリーでくるみました❞だって?
ふざけるんじゃないっ。
こういう事態はもはや放っておくわけにはいかない。
犬猫どもに「舌びらめ&エビ」を食べさせておくわけにはいかないのだ。
犬猫にだけいい思いをさせておいてはならない。
「オレにも食わせろ」という心境に、人間なら誰しもなるはずである(p.28)。
そうして、「舌びらめ&エビ」のネコ缶、おまけに「ターキー味」まで買ってきて実食を始めるのである。
しかしながら、犬猫が食べるものを人間が食べるのは抵抗がある。
もし、こんな姿を誰かに見られたらと思うと、どうしてもコソコソしてしまう。
急に思いついて、立っていってカーテンを引く。ネコ缶を食っているところを人に見られてはならない。また思いついて部屋のカギをかける。カーテンを引いた薄暗い部屋で、ネコ缶食っているところを、不意に踏み込まれて人に見られてはならない(p.30)
人間の尊厳vsネコ缶舌びらめ&エビ味への興味。
コソコソ的周囲への警戒を怠らず、コソコソ的挙動をもって正確に吟味する。これが人類に課せられた課題なのだ。
↑麦のお水まで用意していることから楽しむ気満々であることが伺われる。
気になる食後の感想であるが、味付けが薄い点を除けば、しっかりと舌ひらめとエビの味と風味が感じられ、醤油でも垂らせば立派なつまみになるそうだ。
『やっぱり試食は難しい』p.200-
たいていの人は、試食コーナーでぎごちなくなる。急に重厚になってしまう。
特におじさんは、試食を男女関係と同じように考えてしまうようだ。
「一度手をつけたら、それなりの責任をとらねばなるまい」と考えてしまう。
だから態度が重厚になる(p.200)。
確かにスーパーなどの試食コーナーは取り扱いが難しい部分がある。
試食を勧める人(多くの場合は女性)はその商品を買ってほしいから宣伝するのだが、こちらとしては「気に入ったら買うかもしれないですよ」程度のスタンスであるのだから、交渉決裂、売買不成立になってもそれは仕方がないことである。
ただ、「それなりの責任をとらねばなるまい」というのもわかる気がする。
一応食べ物をもらった恩義というか、誠意を見せなければならないような気がしてくる。
一宿一飯の恩というかな、ジャパニーズサムライソウルというかな。
その点、年配の女性は強い。
「あら、おいしいいいい。(でも買うのは別の問題)」と一宿一飯の恩義を非常にドライに捉え、切り捨て御免の連続試食回りを成し遂げる。大したタマだよ、あんた。
おばさんのほうの態度も、わずかではあるが、恵んでやっているという態度がほの見える。
そこのところが、おじさんのプライドをいたく傷つけるようだ。
「オレはそこまで落ちぶれていない」
という思いに駆られ、急に口惜しくなり、激しく手を振って居丈高になったりするのである。
楊枝の先の、食べ物屑のようなものに、いちいち責任をとったり居丈高になったりする必要はないのだが、おじさんというものは事を重大に考えてしまうのである(p.202)。
楊枝の先の、食べ物屑のようなもの。
楊枝の先の、食べ物屑のようなもの。
楊枝の先の、食べ物屑のようなもの。
食べ物に対してすごく失礼な表現だけど、こういう言い回しが出てくる尖った時代の東海林さだお先生も好きです。
この言語センスが羨ましい。
↑リアルなのやめて。その焦点定まってない目でガチの食事する、リアルなのやめて。
総括
初期の作品ということもあって荒削りで勢いに任せた記述も見られるが、独自の言語センスと観察眼はこの頃から健在であり、随所に東海林さだお節が散りばめられている。
冒頭で書いたように、まだ作風の方向性が定まりきっていないのか、挿入される絵の分量が現行の作品よりもやや多い傾向にあり、文章の強調方法も現在見られない手法を使っていたりして新鮮である。
作品自体が30年以上も昔のものであることから、物価やコンビニ・チェーン店の展開具合も当然現在と異なり、世相も随分変化している。
しかし、根源にある思想は全く古臭さを感じさせず、グイグイ読ませる文章力はさすがである。
この調子で新しいさだお氏の魅力を見つけていきたい。