今日も今日とて丸かじり。今回は丸かじりシリーズ23作目の『ホットドッグの丸かじり』を紹介していきます。
この本は古本で手に入れたのですが、ちょっとした書き込みがあったんですね。
本来であれば書き込みがないに越したことはないのですが、
ちょうど今から10年前に購入され、読了されたようです。鉛筆で書いてあり、消そうと思えば消せるのですが、こういう書き込みは大事に取っておきたくなりますね。
↓『三ヶ森書店』。恐らくここだと思われます。
遠くからよくぞいらっしゃいました。
『ホットドッグの丸かじり』
2008年下半期の出来事
この本が文庫化されたのが2008年11月10日(上の「発売日」とは若干ずれてくる)。2008年の下半期にはどんな出来事があったのだろう。
7月
・関東・沖縄地域において自動販売機で煙草を購入する際にtaspoが必須となる。
・「大阪名物くいだおれ」、建物の老朽化及び時代風俗の変容を理由として営業を終了。
8月
・北京オリンピック開幕。はてなが動画サービスrimoのサービスを終了。
9月
・アメリカ証券会社大手リーマン・ブラザーズの経営破綻に伴い、同社日本法人リーマン・ブラザーズ証券および関連会社が東京地方裁判所に対し民事再生法適用申請。
10月
・松下電器産業が社名を「パナソニック株式会社」に変更、国内での商標も「Panasonic」に統一。
・ローソンがam/pmを買収。
・日本銀行、金融政策決定会合で政策金利を0.5%から0.3%程度に引き下げることを決定。
11月
・小室哲哉容疑者、詐欺の疑いで逮捕。
12月
・新宿コマ劇場閉館。
月ごとの出来事のチョイスは完全に主観によるものだが、事件が多すぎて選ぶのが大変だった。
政治、経済、文化ともに激動の時代であることが伺われる。
はてなって動画サービスも運営していたことがあるのか。全く知らなかった。WiiとPS3にも同期できるという情報も全くの初耳である。
このニュースを紹介するだけでひとつの記事にできそうだが、前置きはこれくらいにして『ホットドッグの丸かじり』に入っていきたい。
【 ふりかけの実力は?】p.94-
ふりかけをふりかけられたゴハンは、いかにコシヒカリ、ササニシキなどの名門のゴハンであろうと、ふりかけの支配下におかれる(p.94)。
いきなり軍事的な話から始まる。この世界広しといえども「ふりかけ」と「支配」を結び付けて考える人物が他にいるだろうか。いや、いない。
ふりかけ魔というものがいたとしよう(p.95)。
この話はヤバそうな匂いがプンプンするぞ。ふりかけ魔って何やねん。
もちろん愉快犯で、この人は他人の家の食事のゴハンに、ふりかけをふりかけて回るのを無上の喜びとしている。
(中略)
おりしも前日が給料日だったので、卓上にはマグロの刺身(大トロ)、新タケノコとワカメの煮たの、納豆(こだわり納豆本小粒吟造り)、お新香(大安の千枚漬け)、味噌汁はワカメ(島根の灰干し)、と新キャベツといった、いずれも粒ぞろいの面々がズラリと並んでいる。
家族は両親と子供二人、四人はいま、手に手に熱々のゴハン茶碗を持ち、どのおかずにしようかとそれぞれがおかずに手を伸ばそうとしたそのとき、テーブルのすぐ横の窓がガラリとあき、ニュッと一本の手が突き出され、その手にはふりかけの袋がにぎられており、シャカシャカシャカという音と共に、全員の熱々のゴハンの上にふりかけをあっというまにふりかけられ、窓はただちに閉じられ、何者かが逃走していく足音だけが聞こえてくる(p.95-96)。
天才である。どういう感性をしていたら、こんなユーモラスで具体的な描写を生み出すことができるのだろう。
確かにひとたび侵食すれば、他のおかずの入り込む余地がなくなるという点で、ふりかけは最強のおかずなのだ。
あとがきで角田光代さんも触れているが、ふりかけで文章を書いてみろといわれても到底不可能である。
「ふりかけの発祥」だとか「流通しているふりかけの紹介」だとか在り来たりの要素を一切使わずに、自身の感性に従ってこれだけの愉快な文章を描き出すのは、やはり天才の所業としか思えない。
ふりかけ魔かぁ。
↑いらすとやも大概だな。どんな発想だ。
【タン塩の時代】p.118-
あなたは牛さんの舌をどこで味わっていますか。
そうです、自分の舌です。
舌で舌を味わう。
あー、なんだか、もー、わたしは、あー、もー、身も世もあらず恥ずかしい。
あなたの口の中であなたの舌は、舌を味わうと称して舌同士たわむれあっているのです。
舌と舌、同じもの同士。舌と舌、同性同士。
表も裏も知りつくしている同性同士だから、 どこをどう触れば相手がどう歓ぶかを知りつくしている(p.122)。
す、すごく、生々しいです///
文豪は変態。この構図は人類普遍の理。古事記にもそう書いてある。
知りつくしたもの同士が、閉ざされた暗い口の中で、くんずほぐれつ戯れあっているのだ。
タンの口当たり、舌触りは実に複雑だ。食べている間中、千変万化(p.122)。
「あー、なんだか、もー」と言いながら冷静に分析をしてあらゆる角度からジャブを打ち込んでくるさだお氏は流石である。
ここで僕の牛タン体験を書いておく(いやらしい意味ではなくて)。
都内でそこら辺の居酒屋に入って牛タンを注文しても、出てくるのはサラミのような厚さで、干からびたものに遭遇する確率が非常に高い。肉汁とは無縁である。
とはいえ、そこそこの焼肉屋に行けば、厚くて柔らかい牛タンが食べられるが、それなりの対価は必要になる。
数年前に初めて仙台に行ったのだが、そこで食べた牛タンが革命的に美味しくて(しかもとびきり安価)、自分の世界がいかに狭かったかを実感させられた。
やはり本場は違う。
さだお氏が本文で触れているように食感が千変万化するのも興味深い。
ときにザクザク、ときにぬめぬめ、ときにサクサク。ああ、牛タンが食べたい。
【動く丼】p.196-
なかなかの文章量になってしまったので、3本目はコンパクトに。
日本には船盛りという刺身の供し方があり、鯛を丸ごと木製の船の中央に据え、そのまわりに他の刺身を形よく並べていく。
この船盛りの鯛のアゴはヒクヒクと動くことを要求される。
動かないと客の一人が箸で突つき、動くと動いた動いたといって喜ぶ(p.198)。
外国の方から見ると、日本の船盛りや活け造り、生シラス丼や活イカ丼は残酷だと言われる。
僕も残酷だとは思うが、やはり見た目の派手さやパフォーマンス性で料理の臨場感や生命のダイナミズムを感じるので惹かれてしまう部分がある。
新鮮=食べ方としては最上という安直な考えもあるし。
しかし、動かない魚を突いて反応したら喜ぶというのは冷静に考えれば人倫、いや、鯛倫やシラス倫、イカ倫に反する行為である。
愚かな人間に、魂の救済を!
その報い、全身全霊をもって受け止めよう。
総括
相変わらず勢いのある作品を量産しているといった印象。他にも紹介したかったのは、「100円うどんを食べに行く」「ミリン干し応援団」「冷やし中華KKもリストラ」あたりだろうか。
4冊出ている総集編は全て読破しているので、初見の話は少ないかと思いきや、収録されている話のほとんどは読んだことがない作品であった。総集編に載らなかった作品でもこれだけのパワーを持っているのだと再認識し、そこの知れなさを実感させられた。