うたかたラジオ

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唐突に頭をよぎるイオンの50円寿司(個包装)物語

ブログ内でも何度か申し上げておりますが、僕の故郷はド田舎の小さな町でして、ゲームセンターやカラオケボックスはもちろんのことファーストフード店やまともなおもちゃ屋もないほどの僻地なのです。

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そんな僕が楽しみにしていたのは、月に1,2度程度親に車で連れられて行く少し遠くの少し大きい町への買い物でした。

地元で手に入らない漫画を買ったり。欲しいゲームを予約して、それを引き取りに行き、帰りの車内で読む説明書は格別でしたね。

家に帰ったら新しい冒険が僕を待っている。

あの夢のような時間はもう味わえないでしょうが、あのときのきらめきが今でも胸に残っています。

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あとはマクドナルドのハンバーガー。当然僕の住む町にはマックがないので、遠出した時の昼食のハンバーガーが御馳走でした。

今では数年に1回食べるか食べないかなのに、あの頃は「ハンバーガーが毎日食べられたら・・・」なんて考えていましたね。今は毎日食べろと言われたら秒でNOと言うけども。

 

と、ノスタルジーに浸ってしまいましたが、今日の本題は『イオンの50円寿司(個包装)』ですよ。

「何だよそれ」という方も僕の戯言にお付き合いいただければ幸いです。

 

 

イオンの50円寿司(個包装)の思ひ出

楽園

イオン、それはカントリーピープルの楽園。

大抵のものはそこで手に入り重宝するが、周囲の小さな商店からは「鬼」「悪魔」と罵られる禁忌の落とし子。

そんなイオンが少年の僕には輝かしく見えた。

漫画の本をたくさん揃えている書店が入っているぞ。ゲームショップもあるのか。服も家電も売ってる。おお、レストランも併設とは恐れ入る。

イオンと言えば、広い食料品売り場である。あちらを見れば野菜、野菜、野菜。こちらを見れば、肉、肉、肉。

問題のブツ

僕が子供の頃、その一角にフィルムで個別に包装された、一貫50円の寿司が売られていたのだ。

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↑こんな感じ。

 

いやー、これがね、

 

不味いのだ。

 

大体子供の頃の思い出深い食べ物は、補正で美味しく感じたように記憶されるが、この寿司は不味い。間違いなく不味いのだ。

それなら何故わざわざそんなものを記事にしたかというと、不味いけれど嫌いじゃない。むしろ好きな食べ物だからだ。通勤電車の中で急に思い出して懐かしくなった。

シャリはカッチカチに固められ(❝握る❞ではなく❝結合❞というのが正しいと思う)、その上にはペラッペラの大したことのないネタが載せられている。

記憶の限りだと、マグロ、サーモン、蒸しエビ、ネギトロ軍艦、タコ、甘えび、イカ、玉子だったか。そのどれもが微妙だった。

でも、『好きなの取っていいよ』という親の言葉には蠱惑的な響きがある。

ずらーっと並んでいる寿司を、自分の好みにしたがって、自分の食べたい分だけ取っていいというのだ。

売り場に置いてあるプラスチックのパックを手にして、マグロとネギトロとサーモンと・・・、イカもいいな。甘エビも。ネギトロもうひとつ行っとくか。

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駄菓子屋でお菓子を吟味する感覚である。この作業が楽しい。

10貫食べても500円である。先ほど書いたとおりシャリはカチカチに密集して固まっているので、一貫あたりそこそこな重量を持っている。

個包装のフィルムをピリピリと剥いて、ひとつひとつ丁寧に食べるのが楽しくて楽しくて。

子供の僕は7、8貫食べればお腹いっぱいだ。大して美味しくない寿司も自分で選んだと思えば、なんだか誇らしくて美味しく食べられるのだ。

“美味しい”以外の付加価値

僕は昔から寿司が大好きで、最近はようやく回らない寿司屋さんで食事を楽しむ余裕もできた。大人になって、子供の頃にできなかったことができるようになる。

子供の頃の不合理はなりを潜め、合理的で無難でリスクの少ない安全な道を選んで歩いて行く。それが大人になるということで、社会に適応するということなのだろう。

今回振り返ってみて、美味しい寿司、美味しくない寿司もいろいろ食べたけれど、僕にとって遠い昔のイオンの寿司は記憶の中で大事に温め続けられている大切な存在だったと気づいた。

結局何が言いたいかというと、この飽食の時代に、「美味しい」という最高の付加価値に勝るとも劣らない「その人にとって特別な食べ物」という存在があることが大変尊く、興味深いテーマだということである。

どんな人にも子供の時代があって、過渡期を経て大人になっていく。その中で記憶に結びついた特別な“食の記憶”を見てみたい。

僕が好んで食のエッセイを読むのは、そういう嗜好があるからなのかな。

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