森博嗣さんのミステリィ「Xシリーズ」の第2作目『キラレ×キラレCUTTHROAT』を読了したので、感想を書き留めておこうと思います。
↓第1作目『イナイ×イナイPEEKABOO』の記事はこちらから。
↓僕の森博嗣作品遍歴はこちらから。
今回も例によってネタバレは無しで、本編における重要な要素を抽象化して語っていこうと思います。
『キラレ×キラレCUTTHROAT』の感想
あらすじ
満員電車の中、三十代の女性がナイフのようなもので切りつけられる事件が立て続けに起こった。
探偵・鷹知祐一郎から捜査協力の依頼を受けた小川と真鍋は、一見無関係と思われた被害者たち全員に共通する、ある事実を突き止める。
その矢先に新たな事件が起こり、意外な展開を見せるが・・・
作品の印象
最初から最後までだれることなく、登場人物の軽快な掛け合いで進む本作。
最終的な物語の着地点は半分読んだあたりで想像がつくが、それでも読むスピードが落ちず、グイグイと惹き込む力を持ち続けているのが森博嗣作品の特徴である。
ただ、今回はあまりにも突飛な展開が介在するため、途中から「これミステリィなのか・・・?」と困惑してしまうかもしれない。
前作の『イナイ×イナイ』同様、賛否の別れる作品であることは想像に難くない。
❝正常❞と❝異常❞の境界線
❝異常❞を定義づける
「行動が異常」「思考が異常」。
❝異常❞という言葉はよく耳にするけれど、❝異常❞って一体何だろう。
❝異常❞とは、❝正常❞でないこと。
多くの人はこのように回答するものと思われる。
僕自身、上記の定義で説明がつくと思うし、人に説明する際に「❝異常❞とは❝正常❞でないことだよ」と言って、相手が納得すればそれ以上の説明は必要ないとも考えている。
翻って、❝正常❞の定義
しかし、相手が
「じゃあ❝正常❞って何なの?」
「私は❝異常❞と思われたくないから❝正常❞の定義を教えてよ」
と食い下がってきたらどうするか。間違いなく事態は難航することだろう。
❝正常❞は言い換えれば❝普通❞である。
普通の味、普通の服、普通の道、普通の天気、普通の人、普通の反応、普通の理解・・・。
我々の日常は数えきれないほどの❝普通❞に溢れており、そんな日常が❝正常な日常❞なのである。
逆に、「通勤途中に事故に遭った」だとか「大切な人の命を失った」だとかは❝普通ではない日常❞であり、❝異常な日常❞ということになる。
❝異常❞は悪い意味で使われることが多いが、「今日は自分の誕生日」だとか「念願叶って志望校に受かった」というようなイベントは、それが予見可能であったとしてもなかったとしても、❝正常な日常❞にはない❝異常な日常❞といえる。
その上で❝正常❞を定義するのであれば、
「病気等で体調不良に陥ることもなく、精神状態も平静であり、寝不足でも寝すぎでもなく、飢餓状態でも満腹状態でもなく、美味しいものを美味しいと感じ、不味いものを不味いと感じ、痛いときは痛い、楽しいときは楽しい、悲しいときは悲しい等々、上限でも下限でもない均衡した状態」
とでも言うほかない。まるでおみくじにでも書かれているような説明である。
仮に❝正常❞を上記のように定義した場合、今日、今、この瞬間、自分を含めて周りの人間で❝正常❞と言える人がどれだけいるだろうか。
「今日は口内炎ができて食べるのが辛いよ」←口内炎ができること自体が❝異常❞であり、食べ物を❝正常❞に味わうことができないため、やはり❝異常❞である。
「電車が遅れたから走って会社に来た」←走らなければ会社に間に合わないほど電車が遅れること自体❝異常❞であり、走って呼吸が上がっている状態で始業を迎えるのは❝正常❞ではないから❝異常❞である。
❝正常❞と❝異常❞の境界線は極めて曖昧
「いやいや、口内炎ができたり電車が遅れることなんてままあるんだから、❝異常❞じゃなくて❝正常❞なのでは?」
確かにそれもある意味正解だ。
口内炎を大げさに病気ととらえなければ、何ら❝正常❞を乱すものではないし、「食べるのは辛いけど美味しいのは分かる」と言われてしまえば、それを❝異常❞と一方的に決めつけることもできまい。
些細な傷を❝異常❞としてしまうと、❝正常❞の枠が限りなく小さくなってしまう。
❝正常❞の例外が❝異常❞なのか。あるいは、❝異常❞の例外が❝正常❞なのか、議論は紛糾してくる。
要は、❝正常❞と❝異常❞の境界線は極めて曖昧で、主観的な要素や外的要因(時代や流行、時期や場所等)で如何様にも変化するということ。
今でこそ「オタク文化」というものが世に認知され、大人でもゲームはするし漫画も読むというのが当たり前になっているし、スマホが普及しソシャゲに勤しむサラリーマンも多くなっている。
むしろ一つの得意なジャンルを追求して極めることが美徳化されているし、そのような生き方が推奨される風潮まである(料理オタク、キャンプオタク、釣りオタク等々)。
そこらで夢中になってポケモンGOで遊んでるおじさんもたくさんいるし、ツムツムで何十万だか何百万点だかのスコアを叩き出すべく物凄い高速で指を動かしている人も見かける。
ソシャゲで遊ぶ人が増えて一般化し、「あの人、携帯にかじりついてゲームしてる・・・気持ち悪いわねぇ」と考える人が少なくなっている。
かつて❝異常❞の烙印を押されていたものが、今や市民権を獲得して❝正常な日常❞に溶け込んでいる。
❝異常❞と❝正常❞は敵対関係にあるのではなく、紙一重、相対的な関係にある。
これらを前提にすると、 自分が、いや我々が、さらに視野を広げて世間が❝正常❞だと思っているものが実は「やや❝異常❞」かもしれないし、将来的には確実に❝異常❞にシフトしていくものなのかもしれない。
最後にミステリィの方面に舵取りする。
例えば、「人を殺す」という行為は今も昔も❝異常❞であるが、「人を殺したいと思うほど恨んだことがある」という人間は❝異常❞だろうか。
「人を殺したい」と思ったけれど殺さなかった。「ものを盗みたい」と思ったけれど盗らなかった。
理性で封じ込めたこれらは❝正常❞である証拠だ。結局「行動してしまう」という高いハードルを超えてしまったものが犯罪の既遂として認知され、超えようと何らかの行動をしたものが未遂として認知される。
刑法的には未遂の前に「予備」という概念があるけれど、どこまでを「予備」ととらえるかは❝正常❞と❝異常❞の境界をどこに持ってくるかという議論に似ている。
まとめ
なんとも抽象的で言葉遊びを繰り返したような形になってしまったが、ネタバレを避けつつ核心に迫っていくという当記事の性質上致し方ない部分があるかと思う。
「作品の印象」の部分で書いたように、本作はかなり異質な物語展開が含まれており、トリックや犯人云々よりも「人間とは」という哲学的要素を含んでいる点で前作の『イナイ×イナイ』に通ずるところがある。
まさかXシリーズは曲者揃いなのでは・・・?