「このお通し、手が込んでるなぁ」
「お通し500円って高くない?」
誰しも一度は口にしたり耳にしたりすることのあるお通し論議。
巷では❝お通しカット派❞と呼ばれる、自分の望まない料理提供を事前に予防しておく派閥もいるそうです。
今回書きたいのはカット派ほどは過激ではないものの、
「やる気のない、形だけの❝お通し❞を出すくらいなら、そんなサービスやめてしまえ」
という主張です。
お通しを出すなとまでは言わない。
でも、「出すなら一応調理したものにしなさいよ」という魂の叫び。
『お通し』とは?
『お通し』を定義づける
『お通し』を手元にある新明解国語辞典第6版で調べてみると、
お通し・・・(日本料理店で)客の注文した料理の前に出す、簡単なつまみもの。
とありました。
これだけでは漠然としていて分かりにくいですが、読み解くとすれば、
①客の注文を受けずとも店側の判断で最初に出すもの
②本格的な注文の導入になるような簡単なつまみであること
の2点を考察する必要がありそうです。
日本の居酒屋慣習におけるお通しの位置づけ
まず①から見てみると、『お通し』はあくまで店側の判断、すなわち厚意で提供するものであるため、出す出さない、出した場合の有料・無料についても店側に委ねられていることになります。
そもそもお通しの起源は、店側が客人を迎え入れたこと(お通ししたこと)を厨房に知らせて歓迎する。
つまり❝おもてなし❞の意味合いがあったものが現在定着していると考えられています。
自分の経験上、居酒屋でお通しを出さないところの方が少数派ですし、「お通し」「席料」「チャージ代」というような名称の差こそあれ、有料であるところが圧倒的に多いです。
メニューに「お通し代としておひとり様〇〇円いただきます」と明記しているところもあれば、黙示の合意がなされているところも見られます。
お通しなんてせいぜい300円~500円で、高くても700~800円程度なので、別に値段について「そんなんぼったくりやん」というつもりはありません。
そして、提供されたお通しを食べつつ、「おお、これは美味しい。これから注文する品も期待できるぞ」「どれどれ、何から攻めていこうか」と店の力量を図る簡単な尺度にもなりますし、最初の料理が提供されるまでの空白を埋めることができる有能な役割を果たします。
日本の居酒屋慣例上、お通しは提供するもので、かつ、有料であることが前提にあると言えそうです。
お通しと料理の境界線
次に②についてですが、「どこまでを簡単なつまみと見るか」が争点になってきます。
お通しの種類は多種多様で、キャベツをちぎっただけのものもあれば、食材を軽く炙ったものもあり、何時間もかけて仕込んだような煮物や焼き物もあります。
店側が「キャベツをちぎるのだって技術が要るんだよ!」といえば、簡単なつまみの枠を超えるかもしれませんし、「何十年も作り慣れてるからちょろいちょろい」といえば大層な煮物も簡単なつまみのカテゴリに入ってしまいそうです。
しかし、こういった特殊事例は置いておいて、一般的に『簡単なつまみ』を定義づけるのであれば、「食材を軽く焼いたり茹でたり煮込んだりした程度の料理」というのが妥当でしょう。
ちなみに僕が今までで一番感銘を受けたお通しは、水晶のような皿に盛り付けられた鮪と鯛の寿司各1貫+〆の蕎麦の出汁少々です。
見た目からして立派な商品の主力を担える人材ですし、味も「いくらか分からないけど千円くらいとってもいいんじゃないか」というようなレベル。
どう考えても商品級の本格的な料理でしたが、先述した通り、店側がこれをお通しというのであればお通しで間違いありません。
実際これでお通し代300円だったので驚いたわけですが、お通しはピンキリですし、ここに入れる力の加減も千差万別です。
あてはめ
上記を前提にすれば、『お通し』とは、客人を迎え入れたことを歓迎する❝おもてなし❞の意味を持った、食材を炙る茹でる焼くなどのひと手間を施した有料の料理と考えるべきでしょう。
やる気のないお通し排除論
ここからが本題です。
先ほど感銘を受けたお通しの寿司の話をしましたが、逆に❝がっかりお通し❞の存在も語らねばなりません。
今まで見てきた酷いところは、
「ポテトチップス数枚」
「業務スーパーで仕入れたことが丸わかりのポテトサラダや玉子焼き」
「マカロニをマヨネーズで和えたもの(おそらく業務用)」
「トマトのスライス2枚ほど」等々。
挙げてみればキリがないですが、これらを先ほどの『お通し』の定義に照らしてみれば、買ってきたものをペッと出して何の手間も加わっていないし、何より歓迎する意思が全く感じられないのです。
ポテトサラダや玉子焼きは比較的作るのが簡単ですし、大量に作って保管しておいてもさほど味が落ちるというものでもありません。
マカロニのマヨネーズ和えもブラックペッパーやツナ、スライスしたキュウリを入れてみるだけでもグッと美味しくなるじゃないですか。
というか、店で茹でて和えたらそんな味にはならんぞと思います。
そんな「とりあえず出しとけ」というスタンスで提供されたお通しに何の意味があるのか。
店の格を下げるだけの不穏因子にしかならないですよ。
提供されたお通しが調理方法に問題があって不味くても、たかだか300円程度ですし何も言いません。
ただ、明らかにやる気のない、形だけお通し出しておけばいいやという投げやりな提供に対しては、
そんなんやめてしまえ
と思うわけです。
客人をおもてなす気などなく、慣例だけに従ったお通しがお通しとして機能しないようなところならば、端からそのような中途半端なものは出さずに、「席料」という名前でお金とったらいいじゃないですか。
「すぐ出る料理」というのはどこの居酒屋にも大体あるもので、客側が了解して「すぐ出るような簡単なポテトサラダ(業務用)やトマトスライス」を注文すればそれで済む話なのです。
たかが300円が惜しいなんてケチなことは言わないですが、流れ作業でぺペペっと出すお通しにはうんざりですよ。
「おしゃれは見えないところから」という言葉がありますが、お通しというおまけのような要素に力を入れている居酒屋は他の部分についてもしっかりしていますよ。
客側はさりげなく出されたお通しに対して「おっ、楽しませてくれようとしているな」「小粋だねぇ」と感想を抱いたり、意外によく見てますよ。
まとめ
最近ゲームのプレイ日記や料理記事の比率が多めで記事のテーマが硬直化しているきらいがあったので、完全なる主観の雑記記事を書いてみました。
上述したことは、僕がお酒を飲めるようになって居酒屋に行きだした頃からずっともやもやしていたところなんですよね。
「別にお通しなんてどこでも出しているんだから、うちも適当に出しとけばいいよ」というのはやっぱり理解できないところです。