うたかたラジオ

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押上の穴場スポット『郵政博物館』で心ヲツナグ体験をしてきました

「すみだ水族館の❝東京金魚ワンダーランド❞行きたいなぁ」と考えておりまして、水族館までのアクセスや周辺で他に寄れそうな場所はないかと調べていたところ、気になる文言が目に飛び込んできました。

『郵政博物館』

『たばこと塩の博物館』

博物館。しかもニッチな分野。これは熱い。

ということで、すみだ水族館はそっちのけで博物館巡りをしてきましたので、その様子をお伝えしていこうと思います。

記事は2つに分けて、初回のこちらは『郵政博物館』メインです。

秋晴れの押上駅

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10月某日天候快晴、気温は少し高め。時刻は10時半を回ったところ。平日に有休を取りまして、はるばるここまでやってきました。

さすが平日だけあって人通りはまばらです。散歩にはうってつけのシチュエーションですね。
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押上に来たからには避けては通れぬスカイツリー。基本的にどこにいても見えますが、ここまで接写すると圧巻ですね。
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腹が減っては戦はできぬ。まずは手近なところで朝食を食べましょう。

なんということはない平日のこの時間帯のシフトが手薄なところに御年輩の方々の集団がぞろぞろと集結し、店員さんが軽くテンパっていましたが、無事モーニングパンセットを手に入れることに成功。

適度な塩気とちょうどいい食べ応え。パパッと食べて、博物館に向かうとしましょう。
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今日はスカイツリーには寄らないんだ。郵政博物館があるのはソラマチの9階。
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ソラマチの4階あたりから撮った外の様子。休日は人でごった返すのでしょうが、さすがのド平日の昼前の時間帯はのどかなものです。
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1階からはエスカレーターを使ってここまで来ましたが、9階に進むには階段もしくはエレベーターを使う必要があるようです。
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大人ひとり300円。非常に良心的ですね。

 

郵政博物館

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受付で簡単な説明を受けて中へ入館。

郵政の夜明け

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「始」の世界。どことなく漂うクロノトリガー感は振り子時計が引き立たせているのしょう。

郵便物を集めるときも配達するときも現在時刻の把握が必須ということでゼンマイ式時計のお出ましです。

ちなみに館内の撮影は可能かスタッフの方に確認したところ、快く「動画でもいいですよ!」と言っていただきました。なお、フラッシュ撮影等の他の利用者に迷惑をかける態様での撮影は禁止です。

また、館内の半分ほどを占める世界中の切手コレクションのコーナーは写真撮影禁止と書いてありますが、聞いたところ「接写のみNG」とのこと。なんて寛容な博物館でしょう。
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明治初期に郵便の仕組みを築いた前島密(まえじまひそか)像。郵便の歴史を紐解くに当たってこの方抜きには始められないですよね。1円切手のデザインになっています。

「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ。」

この言葉を体現するように、海運、電信、電話、保険、鉄道等々、当時だけでなく現代の我々の生活を支える要素の支柱を作り出すという偉大なる功績をあげます。

ココロヲツナグ

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大量の荷物を運ぶための台車が発達し、暗い夜道でも迷わず郵便物を届けるためにカンテラが発明されるなど郵便事業はより利用しやすく、より人々の生活に浸透するよう進化していきます。
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今でこそ車やバイクは当たり前。空路だって海路だって使って郵便物を運搬しますが、昔は馬力で運んでいたんですもんね。

もっと遡れば、100%人力の飛脚。青森県から山口県まで走って運搬した後、じゃあ今度は岩手に運んでくれなんて今となっては正気じゃないですよ。

真ん中からやや右の「書状集箱」は日本で郵便制度が始まった明治4年(1871年)に登場したもので、非常に簡素な木製です。

箱の下に紙が貼りつけられていますね。文字が小さすぎて何が書いてあるかは把握できなかったのですが、郵送先ごとの目安到着時間と費用を記載した「各地時間賃銭表」らしきものが見えますね。あとは郵便の出し方の説明でしょうか。

その隣の黒い箱は翌年に登場した「黒塗柱箱」というもので、木製ではありますが現代のポストとほぼ同じような構造になっています。
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消えゆく定めも愛おしい

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いわゆる黒電話の元祖ですね。

カリカリカリ、ジーーー。カリカリ、ジーー。カリ、ジ。カリカリカリ、ジ―――。
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現在はデジタルスケールが幅を利かせていますし、正確性も抜群なのでこういった目盛り付きの秤も消えゆく運命なのかもしれません。
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先ほどの「黒塗柱箱」よりもグッと見覚えのある形状をした赤色丸型ポストです。誰が何と言おうと、黒いポストより目立ちますよね。

登場は明治34年。雨にもにも強い待望の鉄製です。丸型ポストの時代は昭和30年頃まで続き、その後は大量集荷が可能な角型ポストに変わっていきました。

余談ですが、昔は「公衆電話」が街の至る所にあったじゃないですか。最近は急激に携帯電話が普及し、急用があるときに急いで公衆電話にかけ込まなくてもよくなりました。

そのあおりを受けて公衆電話の数自体も減りましたが、電話機の色も鮮烈なグリーンから目立たない色にシフトしています。

これも時代の要請でしょうが、実は公衆電話は通信規制の対象外になる「災害時有線電話」なので、昨今の未曽有の自然災害ラッシュで再評価の流れが来ているようですね。

話は戻って、ポストも信書のやり取りが電子メールの発達によって少なくなって数は減ってきていますが、郵便物の運搬が無くなることは「空間転移システム」でもできない限り無くならないことだと思うので、公衆電話も細々と活躍し続けることでしょう。

利用しやすく、効率的になっていく郵便事業

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赤い襟の上着は創業時の制服だそうです。袖口に郵便マークがついているのがオシャレに見えます。
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↑こういった歴史的・文化的価値のあるものも丁寧に保存する方の存在あってこそですし、時々思い出してあげたいものです。
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左がドイツ製の「足踏式押印機」。

高まる郵送需要により手作業での押印作業が追いつかなくなり、ドイツから機械を導入しましたが、日本の封筒の紙質と相性が良くなかったようで、本格的に利用されることはなかったようですね。

そして、右側の小型の押印機が日本の封筒に対応した「林式自動押印機」です
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こちらは印鑑コーナー。

驚くべきことに最初期の郵便印には日付の概念がなかったそうです。また、郵便料金が全国で統一されるまでは地方ごとに印鑑の形状も記載内容も異なっていたとか。

こんなコーナーもあります

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切手で出来たモナリザから先は切手コレクションのゾーンです。

モナリザ「私ったらいつもこういう役回りね・・・」
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今も残るお年玉くじ付き年賀状。特賞がミシンというところに時代を感じますね。
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暑中見舞いの文化は江戸時代頃から始まったそうで、元々身分の低い者が高い者のもとに挨拶に訪れる慣習を簡素化・利便化したものとのことです。
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年賀状には疎遠になってしまった者への交流のきっかけという意味も込められていたそうです。
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「矢立」とは、手紙を書くために筆と硯をペアにした筆記用具です。

矢立の進化系が万年筆やボールペンになるわけですが、これを取り出してサラサラ書き記し、「この文を至急課長に・・・」なんてやったら面白そうです。
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飛脚は全国各所に拠点を有していて、そこでリレー形式にバトンを渡す「継飛脚」を採用していますが、それにしても人力で江戸から京都まで3日程度で手紙を運搬していたというのだから驚きですよね。
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江戸時代の識字率は7、8割程度だったそうですが、遠方の人間と連絡を取るためには文字が分からなければ話にならないので、手紙用の文例を覚えて文章を構築していたようですよ。

まだまだ紹介したいところはありますが、後は実際に行ってみてディープでレトロな世界に触れていただきたいです。

普段何気なく利用している郵便の歴史に触れ、心がじわーっと温かくなるような体験になりました。

 

いぶし銀の洋食屋「キムラヤ」でハンバーグ定食を味わう

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さて、次なる目的地『たばこと塩の博物館』に向かう前にお昼ご飯を食べることにしましょう。

道中で渋い洋食屋さんを見つけました。「洋食 キムラヤ」。
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ぞ、増税になんか絶対に負けないんだからねッ!

「どうだ!」から強い意志を感じます。

店内に入ると、先客は2名。お店はご夫婦で経営されているようで、接客も調理もゆるい着座スタイル。

店内には居酒屋よろしく、短冊状のメニューが至る所に貼られ、どれにしようか迷ってしまいます。夜は居酒屋もやっているようですが、お母さんは「何でも作るよ!」と言っているので、注文すれば時間帯関係なく食べられそうです。

とりあえず無難なところで「ハンバーグ定食」を。
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待つこと5分ほど。お手本のようなハンバーグ定食が出てきました。

調理担当と思われるお父さんを観察していたけれど、いつの間にハンバーグと目玉焼きを仕上げていたんだ・・・。

相当な手練れに違いないですよ。

ハンバーグ、目玉焼き、サラダのプレートに、ご飯と味噌汁。酸味強めの漬物に奥に隠れているのはとろろ。

洋食なのか、和食なのか。そんなことはどうでもいいくらい料理は美味しく、ハンバーグの絶妙な焼き加減は熟練の技を感じさせます。ふわふわタイプなのに、表面はしっかり焼き上げられて、中もちょうど火が通ったタイミングで取り上げています。

これで750円。増税に負けず、美味しくて安い料理を出し続けてほしいものです。

ちなみに最初はガラガラの店内も続々と常連らしき方々ですぐに満席になりました。

地元民に愛される店。他のメニューも是非食べてみたいですね。御馳走様でした。

よし、たばこと塩の博物館に向かいましょう。

 

まとめ

さすが平日の昼ということもあって、ガラガラの館内。写真撮影も快諾していただき、ゆっくりじっくり1時間半ほど郵政の世界に浸ることができました。

訪問時には特段イベント等が実施されていなかったのですが、それでも見ごたえがある展示物に興味津々でしたし、また近いうちに再訪したいとも考えています。

押上といえばスカイツリーがあまりにも有名過ぎますが、郵政博物館は押上の穴場スポットとして是非お勧めしたいところですね。