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食卓の情景@池波正太郎

最近は月末に1本だけ記事を上げるという体たらくな当ブログですが、7月で2周年ということで更新頻度を高めていきたいなと思ってる次第です(希望的観測)。

さて、今回は本の紹介になります。池波正太郎さんの『食卓の情景』。 

www.utakata-radio.com

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もともと自分が食に関するエッセイが好きということもあって、定期的に作品を手に取っては読んで記事にしています。

食に対する執着

身の回りを観察してみると、「食に拘りがない」という人を見かける。

「特別旨くなくても、不味くなければ問題ない」「酒の銘柄なんて分からないから、とりあえず何でもいい」「パッと食べられて片づけられるのが一番」等々。

食のスタイルは人それぞれで、栄養素のことは一旦置いておくにしても、味や彩に拘った方がいいよとアドバイスするようなことはお節介だろう。

この点自分はどうかと言えば、❝かなり食に執着している人間❞だと思っている。多少手間がかかっても美味しいものが食べたいし、できればどんな材料でどんな調理方法で作られたものなのかも把握したい。美味しいものを食べるのであればそれなりの出費も覚悟するし、そのために遠方まで出かけていくのも厭わない。

もっとも、「毎日高級な寿司や鰻を食べたいか」と聞かれれば、必ずしもそうではない。

たまには各敷高い店に顔を出し、創意工夫を凝らした料理を口にするのもいいが、家で作ったカレーや味噌汁をしみじみと味わうもよし、季節の食材を買い込んできて手の込んだ料理を作るもよし。チェーン店やコンビニでお手軽に食事を済ますのもいいし、出前も素晴らしい。インスタント食品や冷凍食品も食べたくなるし、ファストフードも定期的に求めてしまう。

要は食べるものは何にしても、その時々に応じた「旨いものを食べたい」という考えは一貫しているし、旨いものを食べることが生活の活力になり、労働の糧になっている。

長々書いたが、食に執着するのはよく分かるし、今後もそうでありたいと思う。だからこそ食のエッセイを好んで読んでいるわけである。

しかしながら、池波先生の食に対する拘りに比べれば、自分は恥ずかしくなるくらいに大したことはないと思い知らされる。

例えば、池波先生が毎日記しているという食事のメニューを書き出してみよう。

昭和四十二年十二月九日

本日をもって、銀座通りの都電廃止となる。都政の低劣、ここにきわまれり。

〔昼十二時〕鰤の塩焼き(大根おろし)、葱の味噌汁、香の物、飯。

〔夕六時〕鶏のハンバーグ(白ソース)、グリーンサラダ、ウイスキー・ソーダ(2)、 鰤の山かけ、大根とアサリの煮物、飯。

〔夜食午後十一時〕更科の乾そば。

 

昭和四十三年同月同日

〔昼〕ドライカレー、コーヒー。

〔夕〕赤貝とキュウリの酢の物、鯛の塩焼き、冷酒(茶わん2)、カツ丼。

〔夜食〕カツうどん。

 

昭和四十四年同月同日

〔昼〕チキンライス、かき卵、コーヒー、ビール(小)1

〔夕〕冷酒(茶わん2)、ニラの卵とじ、キュウリと鶏の黄身酢和え、精進揚げ、飯、焼き海苔、香の物。

〔夜食〕天ぷらうどん

 

昭和四十五年同月同日

〔昼〕カツレツ、飯、サラダ、コーヒー。

〔夕〕ウイスキー・ソーダ(3)、牛味噌漬け、ムツの子の煮つけ、千枚漬、マグロの刺身、葱入り炒り卵、飯、コーヒー

〔夜食〕ざるそば。

 

(『食卓の情景』p.17-18)

大変に素晴らしいラインナップ。まさに食卓の情景が目に浮かんでくるようなバランスの取れたメニューの数々で、こんな生活できたらなーと妄想してしまう。

四十二年のハンバーグにホワイトソース。美味しそうだ、今度試してみよう。

四十三年の昼のカツ丼を夜食のカツうどんに流用する辺りがなんとも家庭的。流れの自然さに深く頷く。

四十四年の昼にビールの小を1杯飲んだのは、筆が乗ってキリ良く書きあげられたからなのかな。四十五年の夕方は酒のあてが旨すぎて進んじゃったのかな。

池波先生は、作家のような何日も家にこもって創作活動をする人間は、家庭で出てくる食事を活力にしなければやってられないという。確かにこれだけの料理を毎日食べることができたら気力も湧いてくるだろうが、用意してくださる奥様の労力や研究努力は想像を絶する。しかも、池波先生は美味しかった料理に赤丸を付けているそうで、これに従ってメニューの周期や再編成をすることになる。

昼過ぎに起きてくる夫のために食事を用意し、夜遅くには夜食を出す。本当に頭が下がります。

池波先生は、家内はとにかく旨いものを俺に作れ、俺が働いて絶対に養ってやるから、となんとも昔気質の亭主関白である。

現代に同じことを言える男性が全体の何パーセントいるだろうか。そして、これに応じてくれる女性が何パーセントいるだろうか。

 

食と記憶

「あのお菓子、高校生の頃に狂ったように食べてたな」「初任給で食べに行った回らない寿司屋で緊張しっぱなし」「悲しいことがあった日に食べた夕食は味がしなかった」など、人生のターニングポイントや鮮烈な記憶と結びついた食事というものが誰しもあるのではないだろうか。

『食卓の情景』に出てくる食事は全て池波先生の記憶と結びついたものであり、挙げだしたら枚挙に暇がないが、やはり子供の頃に感銘を受けた食事というものは記憶に残りやすいと思うので、ここでは池波少年思い出の味「どんどん焼き」を取り上げることにする。

「どんどん焼き」とは何ぞや、というところから始めると、

↑まず僕の頭にはこれが浮かぶのだが、もちろんこれではない。

山形県の方では小麦粉に具材を混ぜたものをひらたく焼き上げて、割りばしにくるくると巻き付けたものを「どんどん焼き」と呼ぶそうだ。

一方で池波少年が食べた「どんどん焼き」は以下のようなものである。

ベースは、いうまでもなくメリケン粉を溶いて鶏卵と合わせたものだが、その他に牛の挽肉をボイルドしたものや、切りイカ、乾エビ、食パン、牛豚の生肉、揚げ玉、キャベツ、たまねぎ、鶏卵、こし餡、支那そば用の乾そば、豆餅などが常備されてい、店によっては、その他もろもろの材料を工夫して仕入れてくる。

ここまで聞くと、お好み焼きのように思えるが、池波先生曰く「お好み焼きのような雑駁なものではない」らしい。

メリケン粉の中に材料をまぜこむのは〔牛てん〕のみで、これは牛挽肉と日本葱を入れ、ざっくりとまぜ合わせて鉄板へながし、焼き上げてウスター・ソースで食べる。

今のお好み焼きの大半はこのやり方だが、イカやエビを焼くときは、かならず、メリケン粉をうまく小判型に鉄板へ敷き、その上へ材料をのせ、さらに上からメリケン粉をかけまわして両面を焼くのである(『食卓の情景p.40)。

 広島風お好み焼きの作り方に近いのだろうか。メリケン粉はシャバシャバではなく、ある程度粘度を持っていて、小判型に成形して厚みを持たせるのだろう。もちもちして美味しそうだ。

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池波少年は縁日で見かける『どんどん焼き』に痛く感銘を受け、自ら母親に「どんどん焼きの職人に弟子入りする!」と申し出て、あえなく却下される場面が出てくる。

ま、アレとかソレの事情もあるからね(おっと、誰か来たようだ)。

単純に子供の頃好きだったというだけではなく、大人になって自分の家を改築するときにどんどん焼き専用の鉄板を用意して料理部屋を作りたかったという話から、どんどん焼きと池波先生とは切っても切り離せない縁があることが伺われる。

ついでに自分の子供時代、どんどん焼きに関連して、縁日のたこ焼きで印象深いものがある。

子供の頃にお祭りに出かけるというと、祖父母が決まってお小遣いをくれた。千円とか二千円とかそんなものだ。

このお小遣いをどう配分するかが腕の見せ所なのだが、必ずそのうちの400円はたこ焼きに充てることにしていた。

しかも、❝特定のたこ焼き屋に❞充てるのである。

たこ焼きの屋台はいくつも出店されていたが、僕が贔屓にしていたのは神社の鳥居から大体5,6軒目、400円で8個のたこ焼きを出す店であった。

たこ焼きなどというものは8個で400円だったり、500円だったり、大だこ入りを売りにしていたり、じゃんけんで勝つと2個おまけのところがあったり様々だ。

そして僕のお気に入りは必ず❝子だこを1匹おまけに付けてくれる❞たこ焼き屋である。ビジュアル的にも珍しく、噛みしめたときにぎゅむぎゅむ感が堪らなかった。

たこ焼き本体の方もどのたこ焼き屋よりもカリカリトロトロで、選択の余地なくそこに通い詰めていた。

もうそろそろ梅雨に入り、春は終わろうとしているが、初春のホタルイカが大好物なのはきっとあの頃の子だこに由来していると思うのである。

 

まとめ

池波正太郎さんの食にかける情熱は躍動感に溢れていて、その言葉の節々に深く納得する場面が多々あった。食から得た活力で数々の名作を生み出してきたのだろう。

実はまだ剣客商売シリーズは読んだことがないので、食エッセイだけでなく、こちらにも手を出してみようかな。