お久しぶりの散歩記事になります。
↑直近のこの記事は3月9日に上げましたが、内容は2月半ばのものになります。
ようやく外出自粛期間も明けて、ちらほらと開館・開園する施設が多くなってきていますが、すっかり元通りとは程遠い状況なので、節度を守ったお出かけを心がけていきたいと思います。
さて、そんな今回お散歩に出かけたのは、東京都・竹橋。
国立公文書館で『令和2年度第1回企画展「競い合う武士たちー武芸からスポーツへー」』が開催されているという噂を聞きつけて馳せ参じたというわけです。
少し長くなりそうなので、前後編に分けたいと思います。なお、前編では国立公文書館は出てきませんのであしからず。
今日のお品書き
6月某日。時刻は10時半頃。
国立公文書館がメインではあるが、科学技術館も回りたい。面白そうな展示があれば、東京国立近代美術館も寄ってみよう。
当初はそのような計画で考えていたが、あいにく科学技術館は休館日に当たってしまった。
そうなると、公文書館だけでは寂しいから美術館にも寄って、以前から気になっていた洋食屋さんで昼食を食べようじゃないか。その後すぐに帰ってもいいし、近くの神社を巡ってみてもいい。
東京国立近代美術館
駅を出て、❝竹橋❞の地名を冠する橋を渡る。
流石の平日。駅から5分ほどの位置にあるのに、誰も歩いていない。
本来ならば6月14日に終了しているはずの展示が今回の騒動で10月まで延長されているということに縁を感じたので、美術系に疎いのは置いておいて、とりあえず入ってみよう。
MOMATコレクションだけであれば入館料は一般一人500円である。ピーター・ドイグの作品も見たければ計1,700円だ。
ふらっと寄るには少し値が張る気もしたが、せっかくの機会だからのんびり芸術の世界に浸るとしよう。
入り口でお決まりの体温測定と手指消毒をして入館。入ってみると意外と人が多い。
館内は撮影自由だそうで、むしろ「SNSで共有してみよう!」と撮影を推奨する掲示があるくらいだ。
それでは、ピーター・ドイクの作品で個人的に気に入った作品をいくつか下に載せてみよう。
エコー湖(1998年)
深い森の中、湖のほとりでまるでムンクの叫びのような表情をしている男性。それだけだと不思議な絵で終わってしまうが、彼の後ろには1台のパトカーが止まっている。
あのパトカーを運転してきたのは彼なのだろうか。いや、違うかな。彼の絶望的な表情の意味するところは一体何なのだろう。
カヌー=湖(1997-1998年)
❝湖❞が付く作品が連続しているが、実はエコー湖とカヌー湖は隣接して展示されている。
これらの作品は一体のものとして把握すべきだろう。カヌーに乗った髪の長い女性は、恐らくこの世の住人ではない。その表情に浮かぶのは、後悔なのか、憂いなのか、怒りなのか。
先ほどの男性とこの女性の間に一体何があったのだろう。
ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ(2000-2002年)
ポスターにも描かれていた作品である。空はオーロラのようなものに覆われ、星々が瞬いている。静まり返った湖。奥行きを感じさせる長い道。
その入り口に佇む2人の男たちが何を考え、何をしようとしているのかはわからない。全体が淡く靄がかかったこの世界は、もしかしたら夢なのかもしれない。
ポート・オブ・スペインの雨(2015年)
俯き、悲しげな表情のライオンが1頭。その傍らには今にも消え入りそうな男性が1人。
人間を食い殺してしまう強靭さを持ったライオンを拘束するものはなく、野外に放たれている。ライオンと男性はどういう関係なのか。
夜の水浴者たち(2019年)
月明かりが照らす道を歩くと、妙な高揚感や自分がこの世界に一人で存在しているような孤独を感じる。
月光と水の組み合わせは神秘的で秘められた力を多分に有していると思う。月光の下では誰もが正直になれるというか、全てが見透かされているというか。
絵画の中央で寝そべる女性が「この辺りではみんなこうやって過ごすんだよ?」と語りかけているようにも思える。
まとめ
ピーター・ドイグの作品から受けた印象は「わからない」だった。
どこか分からない場所で、誰だか分からない人が、我々が推測できない何かを考えている。とはいっても、その「わからない」が不快なものでは決してなく、フッと吸い込まれてしまいそうな、足元がおぼつかなくなるような不思議な吸引力を持っていたことは間違いない。
むしろ、どこかで見たような、どこかで会ったような既視感さえ感じる情景に息を飲むばかりだった。
偶然立ち寄ってみたけれど、退館する頃にはその時の判断が正解だと気づかされた。
さて、上を見上げると突き抜けるような青空だ。家を出てきた頃は風もあって過ごしやすい一日になると思ったが、太陽がじりじりと照りつけている。
まだまだ時間はある。たっぷり楽しんでいこうじゃないか。