お久しぶりです。
ひとつ前の記事の更新が2023年の4月15日。なんと1年半もの間、ブログを書いていなかったんですね。
といっても、ブログの存在を忘れていたわけではなく、「書きたいという熱意は常に燻りつつも、書き始めるというところまで優先順位を上げて行動に移せなかった」というのが実際になります。
という言い訳を並べつつ、なぜ急に記事を書くことになったかというと、タイトルにある森博嗣さんの『喜嶋先生の静かな世界』を読んで(正確には十数年前に一度読んでいるので再読)今の心境と通じる部分があったので、書き残しておかなければと考えたからです。
また、本書の巻末にある養老孟司さんの結びにある「学ぶには時がある」というゲーテチックな言葉にも強く共感したところも大きいです。
あらすじ
本書の主人公である橋場くんは、ちょっと変わった感性を持っているけれど他人に害を加えないタイプのマイルドな青年。本文を読み進めていくにつれて、いかに彼が優秀で研究者としての素質を有しているかが明確になってくる。
彼はとにかく勉強が嫌いで、大学の受験も得意な理数系のみで受けられるところを志願し、無事入学しているほど(理数系は勉強と思っていないところが天才的)。
大学に入れば、より専門的で、よりエキセントリックでディープな理数の世界に触れられると期待していたが、蓋を開けてみればそこは高校の延長線。教授と呼ばれる先生が自身の著書を噛み砕いて説明してくれるだけの講義。それを熱心にノートに書き写す同級生。
なんだ全然楽しくないなと大学生活に失望する橋場くん。
そんな彼も大学四年生になり、卒論のための研究室に配属されることになった。
表向きは森本教授の研究室だが、実際に指導にあたるのは、橋場くんの今後の研究者人生の道標となる尊敬してやまない恩師・喜嶋先生(役職は助手)である。
といっても、配属当初は喜嶋先生が海外出張中だったので、一見頼りなく見えるゲゲゲの鬼太郎によく似た面倒見のいい院生の男性・中村さんが橋場くんにつくことになった。
中村さんは物腰が柔らかく親しみやすい人格のため、人付き合いがあまり得意でない橋場くんも気軽に相談・議論することができ、彼の研究室生活は順調に進んでいく。そして、本丸の卒論に取り掛かる。と同時に、これから進路どうする問題も片付けなくては。
橋場くんの中では、ぼんやりと大学院進学が選択肢にあったのだけれど、お金も時間もかかることなので容易に決断することはできなかった。しかし、研究室で自分の興味に没頭するうちに進学して研究を続けたいという意思が強く現実味を帯びてくる。
彼にとっては院試で求められる雑学教養的な「勉強」が苦痛であったが、研究を続けられると考えれば頑張れた。そして院試突破。
理数系は断トツの橋場くんだけど、他の科目でズタボロなのはご愛嬌。総合成績は2位。凄いや、橋場くん。そして、気になるトップは櫻居さんという女の子。抜群に頭がキレるし、明るいし、コミュ力も高い。ただ、時々どこかにふわぁっと消え去ってしまいそうな儚さというか不安定さが見え隠れすることに後々気づく。そんな彼女も森本研、否、喜嶋研に入るとのこと。
喜嶋先生は専門分野での研究成果は申し分なく、学内外でも実力を評価されているにもかかわらず、立場は助手。万年助手。これは何か曰く付きなのか…?と、この謎は読み進めば自然と解けていくはず。
ここで話題の喜嶋先生登場。橋場くんよりも小柄で、極めて普通の見た目をした喜嶋先生だが、彼曰く「喜嶋先生の外見は、先生の本当の個性からしたら比較にならないほど普通で大人しい(p.98)」そうだ。
喜嶋先生との出会いが橋場くんの研究者人生を変えた。先生は自身の研究に対して極めて真摯だ。ストイックだ。
生活するために研究しているのではない。研究するために、仕方なく生活しているのだ。
研究にエネルギィを注ぐために、余計なものには労力を割かない。食にも居所にも人間関係すらも必要最小限。しかし、人間として生きていくために、研究に支障が出ないように最小限だけれど不足はしないようにバランスと節度を持って行動している。すべては研究のため。
先生は他人の研究に対して、歯に衣着せぬ物言いで指摘をする。これは意地悪をしているのではなく、単純に疑問や矛盾点を直接的な言語を表示しているだけ。自身がリスペクトする人間にも忖度なく指摘する。オブラートに包んで同じような指摘をしても伝えたいことは変わらないのだから、装飾するだけ無駄というのが先生の考えだ。
そんなデリカシーもない人間だから万年助手なんだという言葉が聞こえてくるかもしれない。
でも、教授、助教授ともなれば学生の指導に当たらなければならず、また、組織を率いることで政治的な要素も少なからず含有されるため、自ずと時間もそちらに割かざるを得ず、「研究第一で」とはいかなくなる。
つまり、研究成果を上げて、周囲に認められることによって昇格という花道を堂々と進むことはできるのだけれど、それは研究者として事実上の引退を意味する。もちろん教授、助教授が研究を一切しなくなるというのではなく、研究への関与が研究室あるいはもっと大きな組織の単位でのものとなり、間接化・希薄化するという意味で。
先生はそうなることを恐らく望んでいない。だから昇格しないのか、昇格を拒んでいるのか。
本書のタイトルの通り、「静かな世界」に引きこもって研究に没頭することができる現在(助手というポジション)が先生にとって心地いい最適解なのだろう。
研究に全てを捧げる真摯な研究者である喜嶋先生に橋場くんは強く惹かれる。
作中で印象に残った言葉やシーンはいくつもあるけれど、喜嶋先生と橋場くんが研究者として最も近づいた瞬間ともいえる「8時間のやりとり」があまりにも眩しく美しくて、こんなに濃縮された幸せな時間を過ごすことの尊さをどこか遠くに、それでいて羨ましく感じたのだ。
この感動を共有するためには、本書を最初から通しで読んでいただきたいのだが、ここで簡潔にダイジェストを示しておきたい。
橋場くんが研究の際に生じた疑問について先生に投げかけると、その場で適切な回答(解答と表現しないのは橋場くんが先生の言葉を鵜呑みにするのではなく、これを血肉に変えて噛み締めるように思考すると考えるから←独自解釈)をくれるか、橋場くんが求める答えがありそうな文献を提示してくれる。
しかし、今回は違った。橋場くんの研究が他人が生半可に関与できるほどの場所にはもうなく、ほぼ極まった状態で、周りの研究者の登っている高みが何となく見えてきた瞬間。彼は自身の研究と全く他分野の他者の研究との近似に気づく。
本来関連性を有しない物同士のはずが、不思議とリンクしそうだと先生に投げかけるのだ。
先生は極めて珍しい反応をする。思案の上、「わからん」と。
しかし、先生も過去に同様の点について引っかかったことがあるらしく、紙とペンを使ってそれをこの場で解き明かす気らしい。
喜嶋先生は無駄なことはしないし、嘘をつかない。わからんというのも本当だし、橋場くんの純粋な疑問にとことん付き合うという先生は本気だ。
コピー用紙の裏紙に先生の思考が展開される。いつも使っている3色ボールペンのインクが途中で尽き、それから橋場くんが続きを自分のボールペンで引き継ぐ。高次元で2人の研究者の思考が収斂していく。
真理に近づいていく興奮と知的な喜びを研究者同士で分かち合える感動を噛み締めつつ、時には笑って冗談を交わしながら飲まず食わずの8時間。
理論は出来上がった。あとは演算、分析をするところまで詰めあげた。
喜嶋先生は橋場くんが研究者として成長したことを嬉しく感じているのだろうか。少なくともこの8時間が師弟関係の大事な一部を構成したことは間違いないのだろう。
橋場くんの喜嶋先生に対するリスペクトは止まない。先生みたいになりたいし、いつまでも人生のマイルストーンであってほしい。
それと裏腹に、この頃から橋場くんと喜嶋先生の距離が遠くなっていく。
研究者として独立しつつある橋場くんは疑問点を自己の中である程度解消させることができるようになったため、研究室内で先生に事細かな質問はしなくなった。
博士課程を終え、研究職として大学に就職。助手になった。先生は未だ助手である。研究者として喜嶋先生は橋場くんのずっとずっと先を歩き続けているけれど、社会的なポジションでは肩を並べたことになる。
学会等で顔を合わせれば、もちろん話をするのだけれど、以前の喜嶋先生の「調子はどう?」といったフランクさは影を潜め、1人の研究者として対等に接しているのか、敬語でやりとりをするようにもなった。橋場くんはそれが嬉しい反面、寂しくもある。
それから数年。橋場くんは実力を評価され、助教授になる。結婚して子供もいるし、家も車も買った。申し分のない順調な研究者人生と言えるだろう。
ただ、橋場くんの心境は変わっていた。というか、周りの環境の変化に橋場くんが対応せざるを得なくなった。
喜嶋研にいたときのように研究だけに没頭する余裕がない。家族があり、収入を得なければならない。指導する学生も大勢いる。助教授の立場で会議に参加する機会が急増し、時間も当然そちらに割かざるを得ない。研究をしたいけれど、数々のしがらみがそれを拒む。
でも、それは当たり前。社会に組み込まれてしまったのだ。社会の歯車のひとつ。自身は研究者の第一線からドロップアウトして、若い研究者に後を譲る。
若者は自由だ。若さゆえに「できない」を知らないから。研究を長く続けていくと、周囲の数々の失敗例を目にする。経験則で「できない」がわかる。その「できない」のさらに先をがむしゃらに突き進む余裕がない。若者の直向きさが羨ましい。
ある日、あの喜嶋先生が結婚したと聞く。そして、ついに助教授になり、他の大学に移られたそうだ。いずれも風の噂で知ったのだけれど。
お祝いを直接しに行こうと思ったけれど、そのような機会を作れないままズルズル…。
そのあと衝撃の事実を残して終幕。
余計な補足というか考察
橋場くんは素直で真っ直ぐな人間だ。そして、根っからの喜嶋研で、先生のことを心からリスペクトしている。
橋場くんは喜嶋先生が万年助手をしているのも先生の研究スタイルからは納得だったろうし、助手だから助教授だからどうこうというような話ではなく、人としてその規格外の魅力を信仰している。
自分が社会的なしがらみに雁字搦めにされていく中、独り身でいつまでも静かな世界に隔離されて研究を続けられる先生をやはり理想の研究者として見ていたのだろう。
ある種、理想は理想のままでいて欲しいという願望。願望を押し付けるような傲慢さが橋場くんにはないけれど、先生と距離を置くことで理想を神格化したかったのかもしれない。
恩師が結婚(それも大番狂せ)し、助教授になられたということは素直に嬉しいが、喜嶋先生がそれでも変わらず、研究に没頭していられるのかを確かめるのが怖かったのもあってコンタクトが遅れてしまったのではないだろうか。
衝撃の事実と上では書いたけれど、喜嶋先生は衝撃の事実を乗り越えて、まだ静かな世界で研究を続けていて欲しいと思ってしまう読者の1人の呟きでした。