うたかたラジオ

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『メンチカツの丸かじり(丸かじりシリーズ38)』@東海林さだお

「この作家さんが出した本はとりあえず手に取ってみる」という、いわゆる『作家買い』をしている方は少なくないと思います。

自分の場合は、東海林さだおさん太田和彦さんですね。

どちらも「食のエッセイ」が主な活動領域ですが、この方々が書かれた作品はほぼすべて目を通しています。東海林さだおさんに関しては軽く50冊は読んでいますね。

今回は、そんな大好きな作家である東海林さだおさんの看板シリーズ『〇〇の丸かじり』の最新刊(単行本から文庫化したものですが)の『メンチカツの丸かじり』について書いていこうと思います。

メンチカツの丸かじり (文春文庫 し 6-91)

メンチカツの丸かじり (文春文庫 し 6-91)

 

今後もブログ内で様々な書籍紹介をしていきますが、東海林さだおさんの新刊が出たときには必ずレビューを書かせていただくと思います。

今回は最初の丸かじりということで、東海林さだお作品との出会いについても触れていきますよ。

 

東海林さだお作品との出会い

あれは3年前の夏。

僕は東海林さだお作品と出会った。当時僕の直属の上司であったKさんから「私が精神的に弱って塞ぎ込んでいた時に東海林さだおさんの『丸かじり』シリーズを読んだんだけど、凄く救われたというか、元気になれた」という話を聞いた。

どう見ても「元気いっぱい!」というキャラではないKさんだが、普通に職場に来て仕事ができているのは本人も驚きらしい。

その立役者が東海林さだおさんという方か・・・。一体どんな啓蒙家なのだろうか。

お恥ずかしながら、僕はそのとき東海林さだおさんが本を書いていることを知らなかったし、食のエッセイというものにもさほど興味がなかった。

最初にKさんから勧められたのは、『アンパンの丸かじり』。

アンパンの丸かじり (文春文庫)

アンパンの丸かじり (文春文庫)

 

 衝撃だった。

食べ物は人類に最も身近で、必要不可欠なものであるが、ここまで分析的に疑問を持って、ユーモアを交えてつつも喜怒哀楽を込め、ときには食べ物に寄り添って面白おかしく文章を書くことができるのか、と。

あまり乱用すると安っぽくなる言葉だけれど、ここで使うべき。

天才。

それから僕は丸かじりシリーズを買い漁り、読み漁り、空想に耽った。

書店に置いてある丸かじりをすべて丸かじりしてマルカジリストになった僕は、このシリーズの始まりが1988年『タコの丸かじり』であることを知り、絶版になった古本を収集する流浪の旅に出たのだ。

Amazonマーケットプレイスという秘境を主に探検したなぁ。

東海林さだおさんとの出会いをきっかけに僕は食をテーマにした作品をよく読むようになった。

新たな分野に僕を誘ってくれたさだお氏(以下、この呼び方とする)とKさんには感謝している。

 

メンチカツの丸かじり

さて、本題の『メンチカツの丸かじり』について書いていこう。

といっても、この丸かじりシリーズは、一つの食のテーマについて4,5ページの短編が36編ほど収録されているため、特に気に入った章を適宜引用してコメントを付していきたいと思う。

【昆布茶の訴求力】p.80-

昆布茶には不思議な訴求力がある。

見たとたん飲みたくなる。

飲みたくなって、すぐに湯呑み茶わんに昆布茶を入れ、湯を注いで飲む。

立ったまま、ということもある。

そのぐらいの訴求力が昆布茶にはある(p.83)。 

 この流れからの、

「昆布茶ってこんなにおいしいものだったんだ」と思う。

「これからは毎日飲むことにしよう」と思い、三日ほど飲む。

のだが、そのうちいつのまにか飲まなくなる(p.83)。

 共感の連続である。昆布茶というのは、「茶」ではあるものの、分類的には「出汁」に近い。

程よい苦みにほっこり、ではなくて、口いっぱいに広がる旨味に「うむぅ・・・」と唸る。

カテキンではなくグルタミン酸。

お茶は健康にいいイメージがあるし、実際の成分的にも人間の体に良好な影響を与えるものが多く含有されている。

しかし、昆布も負けていない。

よくわからないが、海藻は万能なのだ。怪我をしても海藻を貼っておけば治るし、食べれば大学の単位ももらえる。おじいちゃんのぎっくり腰は治るし、彼女もできる。一攫千金も夢じゃない。

だから「毎日飲もう」と意気込んでみるものの、実際はそのうち飲まなくなり、戸棚の奥に。

年末の大掃除頃になって戸棚から発掘されて、「これはいいものだ!」とまた飲んで同じようなことを考えるけれど、結末は同じ。

そしてある日、探し物をしていて台所の引き出しの中に昆布茶の缶を発見する。

「お、昆布茶 !」

と思い、すぐに飲みたくなって飲むとこれがすごくおいしく、これからは毎日飲もうと思うがそのうち飲まなくなり、ある日台所の引き出しに昆布茶を発見する・・・(p.84)。

 過去の自分が見られているのかと思われるくらいに納得する。

さだお氏の書く文章には人間の普遍性だとか行動原理というようなものが読み取れる。

 

 【チーズケーキはエバらない】p.173-

僕はチーズケーキが大好きだ。ベイクドもいいけれど、『レアチーズケーキ』が堪らなく好き。

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レアチーズケーキは等しく愛してるし、上掲画像のようなものも魅力的だ。

しかし、僕の中の理想のレアチーズケーキ像に欠かせないのは、『ブルーベリー』『ミントの葉』だ。

次点でレモンスライス。向こう側が透けて見えるくらい薄いやつ。

ショートケーキとチーズケーキは大人と子供の両域にまたがっている部分もある。

チーズケーキはケーキの中ではあまり甘くないという立場に立っているが、食べてみると相当甘い。 

甘い、という部分が両域にまたがっているが、チーズケーキはワインにも合う。

ブランデーなんかにも合う。

山羊のチーズで作ったものもあり、こうなってくると、あっちのものではなく、もうこっちのものだ(p.178)。

 チーズケーキは間違いなくケーキの一派に属してはいるけれど、ショートケーキやチョコレートケーキとは毛色が違う、割とモンブランやアップルパイ寄りの性質を持っている。

ブランデーとかシナモン入っているんやで。ちょっと大人の味なんやでと言いたげだ。

ケーキから一歩引いているというか、独自の領域を形成したがっているというか、何か大きな流れに配慮しているようなイメージ。

それがまた世の酸いも甘いも知った大人感がある。

「こうなってくると、あっちのものではなくて、もうこっちのものだ」。

こういう言い回しが好きだ。

さだお氏もチーズケーキのように一歩引いて大人の余裕を見せているが、少し子供っぽい言い方がギャップとなっていい味を出している。

 

少し前に理想のレアチーズケーキ像を書いたが、実は簡単に実現できる。

昔テレビで見て、今も時々作るのだが、スーパーで売っているプレーンのヨーグルトを笊にクッキングペーパーを敷いたものに移し、冷蔵庫で一晩。

十分に水分が抜けたら適当にスプーンですくって、蜂蜜やジャムを載せるなりすると立派な「なんちゃってレアチーズケーキ」だ。

そこにミントをあしらったりするとあら不思議。本格的だ。

クリームチーズを混ぜ込んでみたり、レモン果汁を絞ってみてもいい。

うーん、ここまで語ったら仕方ない。もっと本格的にする方法がある。

 

近くのケーキ屋さんでレアチーズケーキを買う。ね?簡単でしょ?

 

【ガンバレ!メンチカツ!】p.204-

本のタイトルにもなっている『メンチカツ』のお話だ。

それにメンチカツにはコアがない。

トンカツにはヒレとかロースといった肉のコアがある。

ハムカツはハムといった厳然としたコア。

コアを持たないものは悲しい。

コアを持っているものは強い。

心のよりどころがある(p.206)。 

なんて詩的なんだ。何を言っているかよくわからないが、何を言いたいかはよくわかる。

メランコリーメンチカツ。サンキューメンチ。サダオゴッドブレス。

メンチカツ1個をほぐしたら何十個分のコロッケが作れると思ってんのかッ。

つい義憤にかられてしまったが、よく「この食べ物にはレモン10個分のビタミンCが含まれています」という表示を見かけるが、「このメンチカツには、コロッケ20個分の挽き肉が含まれています」という表示をすべきではないのか(p.208)。

 まさにさだお節といえる畳みかけ方。

コロッケは中身がほぼ全面じゃがいもで、ほんの少しの挽き肉が入っているだけで歓喜するし、その量が多いと「なんて良心的なコロッケだ」と感動しさえする。

それなのにだ、メンチカツは中身が全面肉なのにありがたみすら感じないのは失礼ではないかと憤っている。

メンチカツが一体何をしたというのだ。素朴な良い子じゃないか。仲良くしてあげてほしい。

 

紹介したい話はたくさんあるけれど、今回はこれくらいで。