今更の今更の今更なのですが、ドラゴンボール初の劇場版である『神龍の伝説』を観ました。
ドラゴンボールの映画といえば、クウラとかボージャックとかブロリー、ジャネンバ辺りは観たのを記憶していますが、無印のドラゴンボールの時代に劇場版が出ていたのは今まで知らなかったです。
1986年にアニメが始まっており、その年に『神龍の伝説』が放映されているのでリアルタイムでは観ることができなかったのですが、この映画50分なんですよね。
この時代にはこれくらいの短い尺の映画も普通にあったのでしょうか。興味深い。
そんなわけで懐かしさを噛みしめながらレビューを書いていきますよ。
あらすじ
あらすじといっても50分の映画なので、ストーリーはあってないようなものである。
一応まとめておくと、
少女パンジの住むグルメス国は貴重な宝石である「リッチストン」の産出国である。
国王であるグルメスは、自らの飽くなき美食を追求するべく世界中から最高級の料理と料理人を集めており、これを維持するためには莫大な資金が必要であった。
グルメスは軍隊に命じて村や畑を破壊してはリッチストンの収集をさせ、国民を苦しめるのであった。
見かねたパンジは強力な軍隊に対抗するべく、武術の神・武天老師に助けを求めようと旅に出るが・・・。
書いてみると、ほんのりストーリーがある。
恐らくアニメ放映に並行して作られた劇場版は、ストーリーが全くの平行世界として展開されており、50分の中で悟空はブルマ、ウーロン、ヤムチャ、プーアル、無天老師こと亀仙人の主要人物とコンタクトを取っている。
↑このもっさいブルマを見れるのは初代だけ。シリーズを重ねるごとに整形疑惑が・・・。
如意棒が何故かデフォルト装備になっているし、便利アイテム筋斗雲もいきなり登場する。
両方ともカリン様のところで手に入るんだったよね・・・?
原作の何十話かをギュッと凝縮したような慌ただしいストーリー展開が続いている。
そのため、肝心の戦闘シーンやドラゴンボール収集関連はおまけ程度である。
悟空の持ち前の天才的センスでかめはめ波を撃てるようになったのは原作に近いが、かめはめ波の初お披露目はフライパン山の火事を消すためだっただろうか。少なくとも初対面で打つ機会はなかったはずだ。
と、突っ込みを入れるのは野暮なのでこれくらいにしておく。
神龍にも色々あったのさ・・・
当然ドラゴンボールには願いを叶えてくれる神龍の存在が必要不可欠であり、人々はみな自分の願いを成就させるためにドラゴンボールを奪い合う。
これが作品の一つのテーマになってくるのだが、本作のラスボスであるグルメスの願いは「自分を満足させるような美食に出会わせてほしい」というもの。なんて平和的な。
ちなみブルマは「理想の彼に会いたい」、ヤムチャは「女の子と話してもあがらないようになりたい」だそうだ。みんな、お願いが可愛いよ!
「どんな願いも、ひとつ、叶えてやろう」
作品が進むと、叶えられる願いが3つに増えたり、はたまた2つに減ったりするが最初は1つだった(ここでは増減の過程は省略する)。
また、神龍の口上も「どんな願いも・・・」から「可能な限り・・・」に若干の修正が加えられたりしている。
一応、「同じ願いは二度と叶えることができない」という縛りがあるし、これには死者の復活にも適用され、同じ人物を二度生き返らせることはできない。
また、神龍の創造主である神の力を超えることは実現できないため、寿命によって亡くなった者を蘇らせることもできない。
死後1年経った場合も不可能である。クーリングオフなのだ。
このように願いをどのように扱うかは議論を呼ぶところであるし、座りをよくするには上記のような縛りを設けるほかなかったのだろう。
彼にも色々と事情があるのだ。許してあげてほしい。
総括
ストーリーはちぐはぐであるし、戦闘も基本的には対人なので迫力もない。
見切り発車で放映してしまった感は否めないが、少なくとも50分の間だれることなく見終えることができたのは懐かしさのせいだけではないと思う。
個人的に嬉しかったのは、オープニングの『摩訶不思議アドベンチャー』とエンディングの『ロマンティックあげるよ』だ。
色褪せない名曲というのがいつの時代にもあるものだ。