最近AmazonPrimeで映画を観るのにハマっています。
今は追加料金なしのPrime会員特典のものだけに絞っていますが、それでも不自由しないほどにラインナップは豊富です。
今回ご紹介するのは、『しあわせのパン』。
あらすじ
東京から北海道の月浦に移り住み、湖が見渡せる丘の上でパンカフェ「マーニ」を始めた夫婦、りえさんと水縞くん。
水縞くんがパンを焼き、りえさんがそれに合うコーヒーを淹れ、料理をつくる。
そこには、日々いろんなお客さまがやってくる。
北海道から出られない青年トキオ、なんでも聞こえてしまう地獄耳の硝子作家ヨーコ、口をきかない少女未久とパパ、革の大きなトランクを抱えた山高帽の阿部さん、沖縄旅行をすっぽかされた傷心のカオリ、観察好きの羊のゾーヴァ、そして、想い出の地に再びやってきた老人とその妻。
それぞれの季節にさまざまな想いを抱いて店を訪れた彼らが見つけた、心の中の“しあわせ”とは?
そして彼らを見守るりえさんと水縞くんに訪れることとは?(しあわせのパン | アスミック・エース)
大泉洋さんが演じる水縞くんが焼き立てのパンを、原田知世さんが演じるりえさんが挽きたてのコーヒーと温かな料理を用意する、カフェ『マーニ』。
マーニはこれらの料理を北海道の豊かな自然に囲まれながら楽しむことのできるパンカフェであるが、遠方からはるばるやってくる人にためにベッドや本格的な季節の料理も用意している❝泊まれるカフェ❞でもあるのだ。
マーニを訪れるお客さんは、皆どこかしらに心の傷や悩みを抱えている。
自分の人生について迷っていたり、家族に対する愛情の向け方に苦心していたり。
マーニを訪れたお客さんは夫妻の心づくしの料理やコーヒーに心癒され、マーニをとりまく近隣の住民たちの温かさに触れ、自分の心の荷物をひとつひとつ下ろしていく。
マーニに訪れる人々の人間模様
作中で印象に残った言葉書き出してみる。
一組目のお客さん、トキオとカオリ
生まれてこの方北海道から出たことがなく、自分の人生は一生このままだと諦観しているトキオ。
仕事は電車の切り替えスイッチを操作するというもので、この淡々とした毎日に嫌気がさした頃にバイクを走らせてマーニを訪れる。
「電車は簡単に切り替わるのに、俺の人生は簡単に切り替わんないんだな」
「線路がずっと続いているように見えても、自分は北海道から出られないんスよ」
二組目のお客さん、少女未久とパパ
未久ちゃんのパパとママは離婚して、今はパパと二人暮らし。
未久ちゃんはママが以前作ってくれた『かぼちゃのポタージュ』を食べたいという。
見かねたりえさんが心を込めてスープを作るが、ママのポタージュスープしか認めない未久ちゃんはこれを拒絶。
水縞夫妻の計らいでパパと未久ちゃんをマーニに招待して心づくしの料理を振る舞い、最後に提供されるは『かぼちゃのポタージュスープ』。
最初は頑なだった未久ちゃんの心はスープの温かさでゆっくり解け、帰ってこないママをいつまでも待つのではなく、パパと二人で歩いて行くことを決意。
未久ちゃんがパパと距離を置いていたのは大好きなママと離婚したからではない。
パパと悲しみを半分こにしたかったのにできなかったからだ。
「パパ・・・未久、パパと一緒に泣きたかった・・・」
三組目のお客さん、坂本さん夫妻
もう老い先長くない妻を連れ、はるばるマーニを訪れた坂本さん。
当初はこの地で人知れず心中しようと考えいたが、水縞夫妻をはじめ近隣の人々の温かさに触れて次第に変わっていく。
ひとつは心中を考えていた頃の坂本さんのセリフ。
もうひとつは嫌いだったはずのパンを食べ、あまりの美味しさに明日への生きる希望を見出した妻のセリフだ。
明日が当たり前にくること、明日を楽しみに生きられることの尊さが伝わる言葉である。
「昨日でけたことが今日はでけへん。なんもしやれん。若いときはねぇ、明日また違う自分がおるから楽しみにできるんですよ。せやけど、なかなかできなくなることばっかりで、あきません・・・」
「おいしい。お豆さんが入ったこのパン、おいしいな。私、明日もこのパン食べたいな・・・」
人生に正解も不正解もない
誰しも傷を負い、その綻びをなんとか手直ししながら人生を歩いていく。
誰一人として同じ人生を歩いていく人はいないし、正解不正解なんてものもない。勝ち組負け組なんていう言葉が流行ったこともあったけれど、それも結果論だ。
自分で選択して、自分の足で歩いて、自分の目で未来を見る。決めるのは自分。周りの誰でもない。それが人生だから。
作中におけるマーニの理想郷感
俗世を排除する描写
優しいハートフルストーリーだが、多くの人が感じるであろう「作られた幸せ感」について書こうと思う。
作中では経営の難しさや北海道の気候の過酷さについては、ほぼ触れていない。
マーニはバスや車を使って訪れるしかないほどの辺鄙な場所にあり、どう考えても商売繁盛、連日ひっきりなしにお客さんがやってきて大忙しということは考えにくい。
北海道の自然は雄大で素晴らしいぞ、花も緑も水も動物もみんな生き生きしているぞという❝良い面❞だけが全面に押し出されており、いかにもオールシーズン楽しめますよというPRじみた部分が見えてくる。
使っている食材も地のものであり、コストも相当掛かっているだろうことを考えれば、「のんびりまったり、心ゆくままに」の経営方針で生活できるのかという疑問がわいてくる。
あえてリアルな金銭の授受を描いていないのは、経営や利益という点を捨象した理想郷を表現したかったではないだろうか。
箱庭の中の優しい世界
ある種、箱庭のようなものである。その世界の中で完結して、誰も傷つく人はいない。
誰もが優しくなれる世界。優しさは伝播する。
もはやファンタジーで現実感はないのだけれど、「こんな場所があったらいいな」というような人々の拠り所、願望を描いたものだと割り切るべきだろう。
総括
マーニを訪れる人々や水縞夫妻、近隣住民の触れ合いは微笑ましく、こんな環境に身を置いていたらどんなに素晴らしく幸せなことだろうと感じる。
都市部でサラリーマンをしていると、平日はほぼ仕事に費やされてしまい、自分の時間がほとんどないことが一般的だろう。
毎日消耗して、少しばかりの生活の原資を手に入れる。
つまらない仕事に対して、自分の時間を切り売りしていると、ふとした瞬間に「自分何やってるんだろうな?」と疑問がわいてくるが、仕事を辞めたら生活できないわけで、そこはぐっと目を瞑ってやり過ごす。
そういう生活をしていたら、マーニでの日常風景がまるで天国のような「人間としてあるべき生活」として輝かしく感じる。
ただ、理想は理想として現実に向き合う覚悟も重要である。
脱サラして山奥でカフェでも開いてのんびりやりたいなーという願望は「宝くじに当たったらいいなー」くらいの気持ちで、胸の奥底にそっとしまっておくくらいでいいだろう。