うたかたラジオ

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深夜特急-香港・マカオ-@沢木耕太郎

どこか遠くに行ってみたい。

そう思ってから実行に移すことができる人は案外少ないかもしれません。

どこに行くのか。そこで何をしたいのか。時間と費用はどれくらい必要か。そもそもそれらを捻出できる余裕はあるのか。

会社に勤める人間ならば、1週間や10日は何とかできても、数カ月、半年旅に出るというのは実質的には「会社での自分の居場所を無くす」ことになってしまいます。

刹那的な衝動と今後の生活を秤にかけたら、尻込みしてしまうのは仕方ありません。

今回はそんなジレンマを吹き飛ばし、26歳で仕事を放り出してインドのデリーからイギリスのロンドンまで乗り合いバスで旅をすることを決意した、❝私❞こと沢木耕太郎氏が見た世界を覗いてみようと思います。

深夜特急①

「26歳」という年齢

書籍の終盤に収録されている沢木耕太郎氏と山口文憲氏の対談の中で、「旅に出るならば26、7歳くらいがいい」というものがある。

世界を見聞するには感受性の豊かな10代、あるいは20歳そこそこが望ましいと思う方もおられるかもしれないが、自分はご両名の「26、7歳がちょうどいい」という意見に大手を振って同意したい。

確かに若ければ若いほどに未知が多く、様々な事象に過敏に反応して自己に取り込んでいけるだろう。

見えるものすべてが新鮮で、大人には思いつかないような突飛で独創的な思考。吸収力は抜群だ。

しかし、これが逆に作用することもある。何者にも染まっていないからこそ、良い方向に振り切ることもあれば、底まで堕ちてしまうこともある。

感受性が高いからこそすべてを受け入れてしまうばかりに情報の取捨選択ができず、消化不良を起こしてしまうこともあるだろう。

これが20代半ばにもなれば、仕事においても恋愛においても、自己の思想についてもひととおりのアクションを起こして、力の入れどころや抜きどころをなんとなく把握している頃だ。

ある種、俯瞰して物事を観察することができ、損得勘定も10代の頃より上手になっていることだろう。旅における❝重大な判断を誤りにくい❞年齢のボーダーはきっとここ。

逆に年齢を重ねていくと、既知が増え、時々の判断は過去の経験に基づいていたり、論理から導き出されるものに従うようになる。

若い人間と比べて危険に足を踏み入れる確率は当然低くなる。

そして、ぎりぎりを攻めなくなる。落ち着いてしまっているから燃え滾ることがない。

せっかく世界はこんなに輝いているのに、常識や経験のバイアスが視界を濁らせてしまう。

未知と既知のバランスがちょうどよく、適度に力が抜けながらも発散しきれないほどの熱量を帯びている年齢。それが26歳なのかもしれない。

 

一杯食わされたか(蕎麦だけに)

沢木氏が香港の蕎麦屋で食事をするシーンが印象的だった。

日本で言う「かけ蕎麦」を提供する店で、麺は黄色いちぢれ麺もあれば、うどんのような白麺もある。ここに簡単な具をのせて1杯1ドル。

沢木氏が店に入るか考えていると、そこに若者が現れる。彼はこの店の常連であり、聞くと現在は失業中だという。食つなぐために何でも屋をしているが、仕事はまばらでとても安定しているとは言えない生活をしている。

沢木氏が日本人であると分かると彼は目を輝かせていくつもの質問を投げかけてくる。それはそれは賑やかな食事になったわけだけど、彼は食事を終えると沢木氏にグッドバイと告げ、店のおばさんにも一言発して代金も支払わず出て行ってしまった。

これに対し沢木氏は、

もちろん金は私が出すつもりだったから構わないが、礼の一つくらいあってもいいのではないだろうか。見事な手際でタカられたことにがっかりしながら、エリザベス女王の肖像が刻まれているコインを取り出した (p101)。

と落胆していたが、

ところが、屋台のオバサンはいらないという。・・・ペンキ屋の彼がこういって立ち去ったらしいのだ。

明日、荷役の仕事にありつけるから、この二人分はツケにしておいてくれ、頼む・・・(p.101)。 

結果として沢木氏の落胆は勘違いによるものということになったが、同じ状況に陥れば落胆する人間の方が多いだろう。

貧乏旅をしているといっても、相手は職を失った若者であり、蕎麦の一杯を奢ってやることは容易い。しかし、言葉もわからないまま無言で去られたら「あいつ、調子のいい奴だ」と腹が立つのは自然である。

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襤褸は纏えど心は錦。若者なりの行動美学というか、彼が沢木氏から日本の話を聞いているときの日本への憧れや現状からの脱却に向けた意思は本物だったんだね。

不思議と印象に残るシーンだったので、あえて取り上げた。

 

狂乱の宴

沢木氏は元来ギャンブルに熱狂する人間ではなく、しかも資金にゆとりのない今回の旅においてはギャンブルを楽しむなどという行為は全くの考慮の範囲外だったことだろう。

しかしながら、マカオのカジノで「大小」と呼ばれるゲームに熱狂し、没頭してしまう。

ゲームのルールは極めて簡単で、ディーラーが3つのサイコロを円柱状の筒に入れ、黒い蓋を被せる。サイコロの載っている台が上下し目を攪拌させ、回転が止んでから客たちは出目に対して何らかの予想を立てるというものだ。

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3つのサイコロの目の合計は最大18、最小3となるわけだが、この両端を除いて4~17が予想の対象となり、4~10を❝小❞、11~17を❝大❞とする。

また、賽の目の1つを当てるもの、2つを当てるもの、3つ全てを当てるもの、合計数を当てるものもあり、その難易度に従って当たりのときの倍率が変わるのだ。

基本は大・小のいずれかに賭けて倍々ゲームをしていくことになる。

沢木氏は始めは大小に参加するつもりもなく、ただ静観していたが、段々と大小というゲームの仕組みが見えてきて興味本位で参加していく。

理論に裏付けられた予想を実現するために。心許ない手持ちの資金を少しでも増やせたらいいなと淡い期待を寄せながら。

沢木氏が大小にドはまりし、勝ち、そして負けていく様は是非とも実際に読んでいただきたい。あまりにテンポよく、臨場感・緊迫感が伝わる文章にページをめくる指が止まらないはず。

途中に沢木氏が気づく、このゲームの本質とこれを巡るディーラーとの攻防が見ものだ。

 

まとめ

深夜特急1巻のページ数はわずか200ページほどだが、その読み応え、繰り返し読みたくなるような魔力、旅への衝動的な渇望。バックパッカーたちのバイブルと呼ばれる所以が分かった気がする。

今現在、2巻のマレー半島・シンガポール編を読み終わろうとしているところであるが、全てを読み終える頃には寂しい気持ちになっていることと、どこか見知らぬ土地を歩いてみたいと思う気持ちが増大しているだろうことは簡単に予想できる。

当ブログで随時作品の魅力を紹介していけたらいいな。