うたかたラジオ

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ふらり竹橋散歩【後編】~国立公文書館、老舗洋食店タカサゴ~

いつの間にか2020年の上半期が終了しておりました。

上半期を象徴する出来事と言えば、❝アレ❞しかないですよね。

卒業式、入学式、お花見、ゴールデンウィーク、そしてこれから来る夏休みさえも侵食する勢いの❝アレ❞。季節感もないままに、灼熱の夏を迎えつつあります。

人の活動と切り離せない❝アレ❞との共存はもうしばらく続きそうです。

当ブログでは開設当初から散歩記事を比較的多く取り扱っておりまして、今回の騒動でかなり制約は受けているところではありますが、節度を守って趣味のお散歩を続け、このような形で発信していきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、そんなわけで前回の続きを始めていきます。

www.utakata-radio.com

↑前回の記事はこちらから。

国立公文書館へ

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東京国立近代美術館を出てすぐの場所に国立公文書館はある。
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広い敷地に人の姿は見えず一瞬休館日かと思ったが、しっかり営業中ということでひとまず安心。

今回は建物入り口左側に掲示されている企画展・「競い合う武士たち~武芸からスポーツへ~」を主目的にしてきたのだ。

入り口でパンフレットを手渡され、順路に沿って閲覧していく。入館料は無料で、写真撮影はフラッシュ禁止だがスマホで撮る分には問題ない。

 

まるで決闘。相撲の起源。

日本における武芸の始まりは、現代の国技である相撲である。

日本書紀では出雲国の野見宿称(のみのすくね)と大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)が垂仁天皇のもとで「捔力(すまい)」をし、野見が当麻の脇腹を蹴って骨を折り、反抗不能な当麻に追い打ちをかけるように腰骨を踏み折って絶命させた場面が収められている。

当時は押し出しだとか寄り切りというような決まり手はなく、基本は足技の応酬。相手を絶命させたら勝ちというシンプルかつ野蛮なものであった。

この「捔力(すまい)」が変じて相撲になったとのことだ。

ちなみに更に遡った古事記には建御雷神(タケミカヅチ)と建御名方神(タケミナカタ)の神々の戦いが記載されており、これが相撲の起源とされているらしい。

その後、相撲節会(すまいのせちえ)として相撲は儀式の一環として執り行われるようになり、審判がついて勝敗やレフェリーストップの概念が導入されるなどスポーツ味を帯びてくるが、それでも「やるかやられるか」という壮絶なものであることは変わりなかったという。

 

武芸の変遷

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「競馬」と書いて❝くらべうま❞。内容としては現代の❝けいば❞と同じだ。

❝けいば❞と同じ点は人が馬に乗って速さと馬術を競い合う点、異なるのは基本2騎で行う宮中の行事であること。

相撲に比べればなんと平和なことか。しかしながら、戦場においては馬術の良し悪しが命の存亡に繋がるわけで、単に勝った負けた以外の意味があったのだろうと思う。

武家政権が成立した鎌倉時代には馬術と共に弓術が重視され、訓練場で野生動物を刈り取るシーンが収められた書物も展示されていた。
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忍術も武芸に位置付けられるのか。

群雄割拠の戦国時代に諜報・内偵活動に特化した忍者たちが用いた苦無などの忍具が記載されている。
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平家物語では源義仲に従軍する女武者・巴御前が敗走した義仲軍に追い討ちをかけようとした内田三郎の首を獲ったシーンが収められている。

戦場は男だけのもんちゃうねんで。
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戦国の世を治め、天下泰平となった江戸時代。衰退していく武芸を再興させるために武家故実書の研究を深める徳川吉宗。そして上の写真はあまりにも有名な武士の訓律・武家諸法度。
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実際の戦場を知らない江戸時代の武士たちの修練の場になった小金原鹿狩。
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上の写真は鹿狩に動員された役人たちの羽織の文様を描いたものだ。

 

葛飾北斎お絵描きコーナー

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葛飾北斎が描いた武芸に関する絵画が展示されていた。
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文永の役に蒙古軍の炸裂武器として使用された「てつはう」を語源にした鉄砲。遠距離から敵に致命傷を与える武器は脅威だったことだろう。
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剣より槍が弱そうに見えるのは、距離を詰められた時の処し方や多勢に対する無力さからだろうか。
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楽しそう。
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動物を乗りこなすという発想が出てきたのがまず凄いと思う。馬にそれだけの知能があったともいえるが、最初に選んだのが熊だったりしたら今の競馬は地獄絵図になってそうだ。
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弓道部がある高校に入りたかった人生だった。
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汗臭そう。

以下は常設展示をざっと紹介。
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行ってみたかった老舗洋食屋タカサゴ

国立公文書館を満喫した頃には時刻は13時頃。ご飯を食べて早めに帰ることにしよう。
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竹橋に来る機会はなかなかないが、機会があればぜひ行ってみたいと考えていたお店。洋食屋タカサゴ。

調べたところによると、創業はなんと1650年。もともとは和食屋を営んでいたが、パレスサイドビルに入ると同時にカレー屋になったとのこと。カレーを起点にパスタやハンバーグ、フライなどの洋食を揃える店になったとか。

そんな中で注文したのは・・・
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ソースの飛び散り具合が昼時の活性を表している。ポークジンジャージャポネーゼ定食。

いわゆる生姜焼きなのだが、生姜やにんにくのパンチがあるタイプではなく、果物由来の甘みや酸味を感じさせつつ醤油ベースではない絶妙な塩味が加えられた独特のソースだ。一度食べただけではトレースが難しそうな味であり、二度三度食べたくなる。

先述したが、ここの名物はカレーであり、混雑する店内でカレーが次々とオーダーされていく。これは定期的に通うしかないなぁ。

 

まとめ

時間にして4時間ほどの短い滞在だったが、中身がギュッと詰まった竹橋散歩。なかなか自由に行動できない世相だけれど、悲観的にならず身近な楽しみを見つけてお伝えしていけたらなと思っております。

下半期は更新頻度を高めていけたらいいな(希望的観測)。