うたかたラジオ

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給食は残さず食べるべき?食べ残すべき?

「食べ残せ」の思想

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「給食は残さず食べるもの」、当然のようにそう教えられて過ごしてきた子供時代。

でも、今は「食べられないものについては、残してもいい」「むしろ❝食べ残せ❞」という考え方もあるんですね。

数日前に子供の頃苦手だった食べ物を食べたという記事を書きました。

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食物アレルギーがあるわけでもないし、「食べられない」レベルに嫌いなものはなかったので、給食を食べきれずに昼休みに一人で教室に残されたという経験はありません。

ただ、どうしてもクラスに何人かは頑なに嫌いなものを食べずにそういった目に遭ってしまう子を見てきました。

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先生によっては、午後の授業をまたいで放課後まで持ち越させる人もいました。そんなことされたら子供の側もどんどん追い詰められて意固地になってしまいますよね。衛生的にも問題だと思いますし。

まだギリギリ“あれも体罰!これも体罰!”という時代ではなかったので、これが先生に対する責任追及の問題には発展して行かなかったですけどね。

今回は「無理に食べるくらいなら食べ残すべき」という選択肢について自分なりに考えてみたいと思います。

 

 

食べ残すべきという選択肢

 本当に食べられないのか

今となっては大したことないことも、子供にとっては人生を揺るがすほどの重大な事件と認識してしまうことが多々ある。

自分の例を出せば、日曜日の朝早く目が覚めてしまって(4時とか)、普段見れないようなテレビが見れると期待してリモコンを押すと、砂嵐がザーーーッとひたすら流れ続けている。

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今なら「こんな時間にテレビ流さないよね~」で済むが、当時の僕は「テレビ壊しちゃった・・・どうしよう・・・どうしよう・・・。」と日曜早朝から絶望的な気持ちで家族の起床に怯えていた。皆に何て言い訳しよう、なんとか起きてくる前に直さないと。そんな恐怖で頭がいっぱい。貯めていたお小遣いで弁償できるだろうか。楽しみにしていたテレビ見れないかも・・・。世界、終わったと思った。

無論壊れたわけではないので、5時だか5時半には何事もなかったように番組が流れて心底安堵したという記憶がある。神はここにいたのか、と。

子供にとってはほんのちっぽけな一事が万事になりえてしまうのだ。

給食で嫌いなものが出てきてしまったというだけでもプレッシャーなのに、「これ、食べなくちゃ食べなくちゃ食べなくちゃ」「無理だ無理だ無理だ・・・」とどんどん一事が万事になってしまう。

そして、一回無理だと考えてしまうとドツボにはまっていく。口に入れて飲み込んでしまえばバラ色の昼休みなのに、目の前の嫌いな食べ物が巨大なモンスターとなって自分に襲い掛かってくる。こうなってしまったらどうしようもない。放っておけば一時間でも二時間でも給食を睨んで固まってしまう。

物理的に食べられないというよりも精神的に参ってしまって食べる気力も湧かないのが実際のところだろう。

 

嫌いなものは自然と食べられるようになる?

「子供の舌は敏感だから苦いものなど生命に危険を加えそうなものは本能的に避ける傾向がある」というようなことはよく聞くし、逆に「大人になる頃には味覚が変化し、苦味も受容できるようになる」とも言う。

放っておけば自然と食べられるようになるから、無理に好き嫌いを強制する必要はないという理論に終着しそうである。

しかしながら、この理論は「残さず食べろ」という従来の考え方よりもさらに暴論であるように思えてならない。少なくとも声高に叫ぶべきではない。

僕だって嫌がる子供の口に無理やり給食を押し込んで飲み込ませるのが正しい手段だとは思わないし、食べ終わるまで昼休みに行かせないというのもやりすぎだと思う。それを体罰とカテゴライズするかは態様によるところもあるし。

一方で、「食べたくなければ食べなければいい」が「やりたくないことはやらなくていい」に繋がってしまい、忍耐力が涵養されない危険性がある。

学校という集団生活の中で自己を顕示していくことも大切なことだが、自分が嫌なことも我慢してやってみる、あえて損な役回りを演じてみるというような体験も比肩するほどに重要である。

こういった忍耐を学ぶべき場所で歪んだ自由論を振りかざす子供に育ってしまわないか、非常に心配なところである。

 

結論

上記を踏まえて、子供の特質に十分に配慮しつつも幼少期に一定の忍耐力を身につけさせるためにも「嫌いなものは食べ残すべき」という考えは採用できず、従前の「給食は残さず食べるもの」というスタンスを維持すべきと考える。

これを前提としながらも、食べ残してもみんなの前で晒しあげを受けるようなトラウマ製造の温床になるようなことは避けなければならない。

給食は残さず食べるべきだけど、結果として残してしまうのは仕方がないことだろう。一度食べられないと判断してからの子供は頑なだ。それを無理やり飲み込んでも、それが根本的な「食べられるようになった」にはならない。

どちらが一方的に正しくて、他方が間違っているというわけではなく、もっと柔軟に対応していかなくてはならないけど、こういう「臨機応変に対応せよ」という指示が一番扱いに困るんだよね。