森博嗣さんのミステリィ『Xシリーズ』の第一作目『イナイ×イナイPEEKABOO』を読み終えましたので、感想を書きたいと思います。
↑こちらの記事で僕の森博嗣作品遍歴のことを書いています。
僕が最初に読んだのがS&Mシリーズ(メインキャラクターの犀川創平と西之園萌絵のファーストネームのイニシャルSとMを取っている)。
次にVシリーズ(こちらもメインキャラクターの瀬在丸紅子から)。
そして、Gシリーズ(タイトル名にギリシャ文字θやγが用いられていることから)と作品を象徴するシリーズ名が付されている。
そしてこのXシリーズの由来は、タイトルの「×」からとっているようです。それXなのか・・・。
それでは本題に入っていこうと思います。推理小説においてネタバレは避けたいのですが、結局何を書いてもネタバレになってしまう可能性は否定できないです。
そこで、作品におけるもっとも重要な要素を抽象的・概念的にぼかしてレビューを書いていこうと思います。
『イナイ×イナイPEEKABOO』の感想
あらすじ
黒髪の佳人、佐竹千鶴は椙田探偵事務所を訪れて、こう切り出した。
「私の兄を捜していただきたいのです」。
双子の妹、千春とともに都心の広大な旧家に暮らすが、兄の鎮夫は母屋の地下牢に幽閉されているのだという。
椙田の助手、小川と真鍋が調査に向かうが、謎は深まるばかり―。
Xシリーズ、文庫化始動
物語の主要人物である小川玲子と真鍋瞬市は、探偵である椙田泰男が代表を務める椙田探偵事務所の事務員兼助手を務めている。
小川玲子
小川は、以前某会社の社長秘書を務めていたが、社長の急死により失職し、その後椙田に誘われて椙田探偵事務所で働くことになった。30代独身。変わった感性を持っており、言動は20代のようだ。
真鍋瞬市
真鍋は、講義をサボり単位もギリギリなよくいる大学生である。美大生というのがやや珍しいところか。椙田探偵事務所ではバイト代も特にもらっておらず、時々ご飯を奢ってもらったりするくらいで明確な雇用関係にあるかは謎である。
椙田泰男
そして、探偵事務所のボスである椙田泰男は作品の最後でちょっと顔を出すだけで、あとはほぼ電話を通して、あるいは回想を通しての登場という謎深い人物だ。
鷹知祐一朗
椙田探偵事務所とは関係のない人物であるが、今後もストーリーに絡んできそうな人物であるので、ここで紹介しておく。資産家の息子らしく、あくせく働かなくても十分に暮らしていける蓄えはあるそうだが、様々な伝手から事件の調査を依頼されることがある謎深き探偵である。
森博嗣作品の特徴というべき、軽快なリズムでストーリーは進み、殺人事件が起こる。
様々な推理で犯人が特定されるわけだが、本作に関してはトリック自体は極めて簡単であり、考える道筋はほぼ一本道である。
しかしながら、後に書くように、その裏に隠されたある重要な要素について考えさせられることがあるので、ここを中心的に考察していきたい。
犯行の動機
連日ニュースでは痛ましい事件が報道されている。
「長年の介護に疲れて・・・」「育児に嫌気が差して・・・」「勤めている会社への鬱憤が・・・」、犯行の動機は様々だ。
大半の事件においては捜査によってこれが明確になるため、我々国民は「それは辛かっただろうねぇ」「いやいや、そんなのみんな我慢しているんだよ」と動機に対する自己の意見というものをぶつけることができる。
一方で、「誰でもよかったんだ」「理由なんてない」と犯行の動機が明確にされなければ、学生時代の卒業論文を掘り返したり、犯人が幼い頃に住んでいた町で印象を聞きまわったりして何らかの理由を見つけようとする。
人は理由なき行為を本能的に恐れる。明確にされない犯行の動機を異質なものとみなし、『現代社会の闇』『猟奇的な犯行』というようなパッケージを用意し、なんとかカテライズしようとする。
わからないことは怖いから、言語化して枠にはめ込むのだ。
しかしながら、犯行の動機が明確にされないというのはそれほどおかしなことなのだろうか。
例えば、ベビーカーの中で泣いている赤ちゃんに対して「何故泣いているの?」と問うても何故泣いているのかはわからない。
お腹が空いているのかもしれないし、オムツの中が気持ち悪いのかもしれない。すれ違ったおじさんの顔が怖かったからなのかもしれない。
仮に言葉を話すことができない赤ちゃんの気持ちを我々が言語化して理解することができるとすれば、「お腹空いてるからごはん欲しいんだよ」「人混みの雰囲気が怖いんだよ」というようなことになるだろう。
これらが『泣いている動機』なのであって、泣く理由が明確になる。本能に従って泣いているのか、そうかそうかと合点がいく。
一方で充分に成熟した人間の動機は同じように捉えてもいいのだろうか。僕はそうは思わない。
上の方で挙げた「介護疲れ」「育児疲れ」「会社に対する不満」。
確かにこれらは行動を理由づける動機として必要十分で、理解しようと努力することもできるし、理解できないよと放り投げることもできる。
最もこれらが赤ちゃんにおける『泣く動機』のように本能に基づいた単純明快なものでないことが往々にしてあることが問題なのだ。
確かに「介護に疲れて親を殺した」という事件は痛ましいものであるが、果たして理由はそれだけであろうか。
介護をする前から親と険悪な仲だったかもしれないし、他の兄弟姉妹を頼ろうにも「あんたが長男なんだから」と役割を押し付けられているかもしれない。
運悪く勤めている会社の経営が傾き職を失っていたのかもしれないし、恋人と感性の違いで別れたのかもしれない。周りの友人の結婚ラッシュに乗り遅れてイライラしているかもしれないし、大切に育てていた花をカラスにつつかれて枯らしてしまったかもしれない。
犯行当日、スーパーのレジで割り込みをされて、電車に乗れば雨粒のついた傘を押し付けられて、家に帰る途中にガムを踏んでしまい、親に食べさせる料理を手を滑らせて皿ごと床にぶちまけてしまったかもしれない。
そこで親の声「お前はグズだなぁ・・・」
!!!!!!!
ここまで詳らかにしてみないと、本当に介護疲れが主要な原因なのか、あるいはトリガーがどこにあったのかが明確にならない。
もちろんこの全てをメディアが報道する必要はないし、報道してはならない。『介護疲れ』という尤もらしい表層的でわかりやすいパッケージがあれば十分なのだ。
要するに何が言いたいかというと、動機は往々にして複合的要素を含むものであり、事件の後に推測される後付けに過ぎないものだということ。
犯人の証言をもとに客観的に理解され、言語化されるが、その背景までのディティールまでは考えの及ぶところでもないし、当の本人に聞いてみても「まぁ、簡単に言えばそうなりますね」という程度のものに過ぎない。
本人すらも動機の根源は何かと聞かれてもはっきりしないことが多いだろう。例えば、科学的に分析してみたら幼少期の虐待事例だとかいじめに起因していましたと判明しても、そこに色々な要素が雪だるま式に絡み合って結局わかりやすくて単純な『介護疲れ』という表現に落ち着くことだろう。
動機は行動原理として重要であるけれど、そんなに大したものでもないし、これを明確に理論立てて説明するのは本人ですら難しいし、周りが100%理解することなんてできないよ、ということだ。
僕だって「懐かしいから10年ぶりに森博嗣作品を読もうと思って『イナイ×イナイ』を買った」と購入の動機をブログ内で書いたが、実は持っている図書カードを年内に使い切りたくて書店をぶらついていてたまたま見つけたのが本書だったのだ。
別に図書カードを年内に使い切る理由など一つもないのに。図書カードを使いたいというのが本当の動機・・・だったのか?そう考え始めると面白い。
動機は、本人以外にとってはすべて❝後付け❞に過ぎないんだ。
総括
ネタバレを避けて書いたつもりだが、やはり極めて抽象的な話になりがちだ。本作『イナイ×イナイ』は先にも書いたように、トリック自体は明快であるが、犯行の動機という観点から考えると、突き詰めるほどに気持ち悪く不気味で薄ら寒い感覚に陥る。
是非読了後に表紙の『イナイ×イナイ』の文字を改めて見てほしい。ゾッとするはずだ。
軽快だが、考えさせられる。森博嗣ミステリィらしいなと思いながら、Xシリーズ第一作目の世界を味わった。
次回作『キラレ×キラレ』に取り掛かろうと思う。