さて、1ヶ月半ぶりの「新明解国語辞典で遊ぼう」の続編になります。
本日のお供はもちろんこの方。新明解国語辞典第7版。
↑具体的な進行の説明は上掲の記事をご参照ください。
日々生活の中で何気なく使っている言葉でも、いざ定義を述べてみよと言われたら返答に窮してしまうことが多いと思います、
別に言語学者ではないですし、そんないじわるなことを言う人も運よく周りにはいないので何となくニュアンスで伝われば全く問題はないのですが、せっかくこうしてブログという形で日々言葉に携わっているので、それをネタに書いてやろうという企画です。
それでは早速・・・
新明解国語辞典で遊ぼう
う[宇]
113の1の9!
はい、う[宇]。早々事故ってしまいましたね。こういうのもあるのですか・・・。
さて、気を取り直して、
う[宇]・・・〔軒の下の意〕㊀建物。〔かぞえる時にも用いられる〕「一宇の堂/殿宇」㊁ひろがり。天地四方。「宇宙・宇内」③〔からだなどの〕一部分。「気宇・眉宇」
普段「宇」の字を使う機会があるとすれば、❝宇野さん❞というような名字か宇宙の宇ということになりますが、「建物」の意味があるのは全く想定外でした。
宇宙の宇にはひろがりや天地四方という意味があるということなので、一定の空間を備えた概念的には四方で囲むことができるようなものを宇と表現するのでしょうか。
さらには身体の一部を表すときにも用いられるようで汎用性の高さを伺わせますね。
ちなみに「気宇」というのは気持ちの在り方という意味で、眉宇というのは読んで字のまま眉のあたりという意味だそうで。眉宇の「宇」は端を指すので、やはり四方、角ばったイメージを持つ言葉なのでしょう。
ここで脱線しますが、「宇宙は有限なのか無限なのか」という議論がありますよね。
僕は子供の頃から「宇宙は有限である」という説を推し続けています。
例えば僕が生まれ育った田舎町は当時の人口が1万人ちょっとで、今も急激に減り続けているようなところですが、子供の僕にとっては家と学校、友達の家辺りが世界の全てでしたし、そう信じて疑わなかったです。
そして少し成長して、隣町に遊びに行ったりすることがあると、「ああ、世界ってこんなに広かったんだな」と感じます。
そこからは加速度的に市外に出て県外に出てという形になりますが、宇宙は結局この延長線だと思うんですよ。
つまりマトリョーシカのように多重的な層になっている。その層の外側には違う概念が存在し、層はそれぞれ有限だと。
家ー村ー町ー市ー県ー国ー世界ー地球ー太陽系・・・のように。
僕が今想像している宇宙にもきっとさらに外側の世界があって、ずっとずっと広がっている。でも、そのずっとずっと先には終わりがあって、終わればまた始まりの外側が広がっているの無限ループだと。
それを考え出すとワクワクしてきますので、年に一度くらいはふと思い出して考え込んでしまいます。
もこくぼん
次は、1500の3の10!
もこくぼん〔摸刻本〕・・・原本の筆跡をそのまま模して彫刻した版にした本。
彫刻したという文言から気の遠くなるような作業量を思い浮かべてしまいますね。
昔、中学校の図工の時間に彫刻刀を使ってトランプの柄を木の板に彫り込んだのを思い出しました。あれはトレーシングペーパーでトランプを板に複写してそれをガイドラインに彫刻刀を進めていました。書くと彫るでは作業時間が段違いでした。摸刻本はそれらの作業を繰り返して本にするということですよね。それはキツイ。
今は当たり前のようにコピー機のボタンを一つ押せば原本と遜色ない写しが簡単に手に入りますし、3Dプリンターで立体を複写することもできるようになりました。
そうなると摸刻本のようなアナログな複写方法はもはや趣味の世界に追いやられてしまっていることでしょう。
きょうせい
次は375の2の4!
きょうせい〔教生〕・・・教職単位修得の一環として、その学校の教員の指導のもとに、教育技術の実習をする学生。教育実習生。
一瞬何のことかと思いましたけど、教育実習生のことなんですね。今思えば、僕が中学生のとき、高校生のときに学校に来た教育実習生の方々は大学生なわけで、年齢としては10個も違わないのに大人びて感じたものです。
「大人びて」というか、「(まだ先生ではないんだけど)この人は先生なんだ!」というイメージが強いです。
自分が小学生のときは中学生が、中学生のときは高校生が、高校生のときは大学生が、大学生のときは社会人がまるで別世界の住民に見えていましたけど、いざ自分がなってみると想像していたよりもずっと子供というか、大して変わらないことに気づかされます。
まぁ、みんながみんな空想上の❝大人❞になっていれば、世の中の醜い争いごとの角は少しは隠れるでしょうし、無駄なことに気を回さなくて済みそうですが、つまらない世の中になるだろうなというのも同時に感じるところではありますね。
大人って何だろう。お金を持っていること?落ち着いていること?
いや、自分主体以外の視点を内に取り込んでいる人物のことを言うんだろうなと最近思います。
まとめ
日々何気なく使っている言葉の意味を知ると同時に未知の言語に触れあえる辞典の深淵にもっと近づいてみたいですね。
言葉の広がり・・・、言宇とでもいうんですかね。そんな言葉はないということも今回「宇」を見つけられなければ気づくこともなかったのです。