実は先日第2回刹那的放浪記の取材を完了しまして、これは後日記事にする予定ですが、その旅のお供にしたのが東海林さだおさんの『そうだ、ローカル線、ソースカツ丼』でした。
この本を読むのは3回目なのですが、いつ読んでも面白いのです。我が敬愛の東海林さだお先生は御年80才。現役でエッセイを執筆されているバイタリティ溢れる人物なんですよね。
しかし、2015年秋頃に肝臓がんが見つかり、一時期連載を中断してました。
その後無事手術が成功して執筆活動を再開。読者の一人としてありがたい限りです。
復帰当初の作品を見てみると以前よりキレがなくなってきているようで寂しい気持ちでしたが、最近の作品では急激にかつての勢いを取り戻しつつあるのが流石です。
そんな中で久しぶりに過去作を読むと、凄まじい勢いに圧倒されますね。
この『そうだ、ローカル線、ソースカツ丼』もその一つです。少しずつでもいいので再読して記事にしていきたいものです。
前置きが長くなってしまいましたが、中身に入っていきますよ。
↓あと宣伝で、第1回刹那的放浪記~光が丘編~を載せておきます
おすすめの話を紹介
タイトルにもなっている「ローカル線」は、本書の冒頭9頁から56頁まで。
「ソースカツ丼」は最後の方の213頁から228頁まで。
他にも名作がオムニバス形式で収録されている。
タイトルにあるお話を取り上げて、その後簡単におすすめエッセイを抜粋方式で紹介していこうと思う。
【ローカル線は楽し】p.9~25
目的地は茨城県にある❝袋田の滝❞。さだお氏が小学生の頃に遠足で行った思い出の滝であり、小学校二年生から中学二年生までこの近辺に疎開していたという。
水戸駅から水郡線で袋田の滝に向かう。その車中、高校生下校時間と重なり、
ズラリと並んですわっている女子高生のミニスカの膝小僧がまぶしい。
こういう充分に成熟したものは小僧じゃないだろ、大僧正だろ、膝大僧正だろ、などと思いつつ、ビールどころか立ったまま、カバンからガイドブックを取り出してプランの検討に入る(p.14)。
唐突なさだお節である。膝大僧正ってなんやねん。
夕焼け空がまっ赤っ赤。
遠くの山の稜線をくっきりとさせて、稜線から上が赤、下が墨絵の世界。
カラスが三羽、山のねぐらに帰っていく。
沿線の土手に、あ、赤い彼岸花。
稜線だとか、ねぐらだとか、彼岸花だとか、こういう言葉久しく使ってないなー。なんて思いながらビールをぐびり(p.18)。
シンプルでわかりやすい言葉で表現されているけれど、光景が目に浮かぶようだ。
日本の原風景というか、潜在的に刷り込まれているような古き良き日本。つい旅に出たくなる。
【ど「阿呆列車」は行く】p.26~41
内田百閒氏の『第一阿房列車』を読んでいるうちに真似をしたくなってしまったさだお氏。
↑実は我が家にもいつか読もうと保管してある。
「用事がなければどこへ行ってはいけないと云うわけはない」
そのとおりである。「〇〇を食べたい」「××を見たい」というような目的のある旅は楽しいけれど、目的のない旅もそれはそれで楽しい。
変に知識を入れないことにより多くの気づきがある。
僕が昔から好きな❝刹那的放浪❞は、まさに目的なき旅である。
このうしろめたさは何だろう、と考えてすぐに思い当たった。
用事もないのに列車に乗り込んでいる、といううしろめたさであった。してはいけないことをしている疚しさだった。
そう思いあたるとうしろめたさがいっそう強くなり、コソコソとロング缶を紙コップにそそぎ、コソコソと周りを見回して笹かまの袋を破る。
気持ちはうしろめたいがビールは旨い(p31-32)。
わからんでもない。例えば有休を取って朝イチで映画を観に行くとしよう。
そうなると当然平日の通勤ラッシュにぶつかるわけで、優越感がある反面、「こんなラフな格好で白昼うろうろしていていいのか」と思えてくる。
うしろめたくはないのだけれど、なんだかムズムズする瞬間はある。
もっと近いのは、風邪で学校を休んだときに見るテレビかな。
風邪で学校に行ったら迷惑だし、自分もしんどい。でも友達は当たり前のように登校して授業を受けている。やることもないからテレビでも見てるけど、いいのかなぁ、と。
それも実際授業が始まる時間くらいには罪悪感も消えて、気持ちもすっきりするんだけどね。
東海道新幹線の三河安城駅まで切符を買ったが、よく考えると三河安城駅までどうしても行かなければならない理由はない。
最初から目的がなかったのだから、途中でメジャーどころの浜松で降りて名物の鰻を食べてもいいじゃないかと気づく。偉いぞ、さだおちゃん!
2,100円の鰻重と700円のう巻きとビールを一本とった。
う巻きおいしく、うな重おいしく、ビールがすすんでもう一本とった。
そうしたら、ビールのつまみが足りなくなったので、カバンからコソコソとスキミタラを取り出し、テーブルの下でむしってコソコソ食べ、スキミタラを持ってきて本当によかったと思った。
用事のない旅は、全体がコソコソしたものになったが、これでよかったのだろうか(p.41)。
微妙に小心者なのがさだお氏の魅力だ。まぁ、持ち込んだつまみをアテに堂々とビールを飲む人間の方が少数派だと思うけど。
当初から入る予定だった店ならば、メニューを見て「うんうん、この数量限定のを食べに来たんだ!」とか「今度来たときはこっちにしよう」とか意気込みがあるものだが、急に決めざるを得なくなった飲食店では手探りなことが多い。コソコソするのもなんとなくわかる。
【こんどは「阿保バス」だ】p.42~56
この項の前回、「用事がないのに列車に乗る」というのをやってみたらとても楽しかった。もう、ほんと、楽しかったです(p.42)。
疑問に感じつつも楽しいというあてなき旅の楽しさを知ったさだお氏。今度はローカルバスに目的なく乗ることを決意。
このバスはこうした近隣の人たちの生活に必要不可欠 のものなのだ。そういう意味で公共性も高いということになる。そういうバスに、わざわざ遠くからやってきて、何の用もない人が乗り込んでもいいものなのだろうか。有資格者という意味で問題があるのではないか。
もし何の用事もないことがバレたら、❝無資格乗車❞とか、❝バス不法侵入❞とか、そういうことになるのだろうか(p.48)。
このあたりの言い回し、流石である。用もなくバスに乗るというのは、電車以上に酔狂な行為かもしれない。
大体病院だとか市役所だとか用事があることが前提で路線図ができているし。
万一無資格乗車罪で捕まってしまったら、「人生という名の旅路です。旅の終着点は自分で決めます。あしからず。」と言って切り抜けるしかない。
「しまった」と思ったが、よく考えてみると、❝用事のない旅❞には「しまった」はない。
なにしろ何の用事も目的もないのだから、「これが正解」ということがない。
どこへどう行こうと、どこでどう降りようと、出たとこ勝負で出たとこがすべて 正解なのである(p.56)。
出たとこ勝負で出たとこがすべて正解。実に深い。選んだ選択肢が正しいか誤っているかなんて、終わりがくるまで評価できない。
奮った勇気が誰かを悲しませることもあるし、誰かを守る傘にもなり得る。
臆病になりすぎて何もできないのは不正解にもなりえるけど、一概に不正解ともいえない。
さだお氏は度重なる目的なき旅で何かを悟ったようだ。
【ソースカツ丼とヘビの旅】p.213~228
さだお氏がずっと気になっていたソースカツ丼を食べに行くお話。
ソースカツ丼にずうっと昔から興味があった。
どういうものなのか。
トンカツにソースをかけただけで商品になりうるのか。
ちょっと考えただけでもわかることだが、ここに一枚のトンカツがあるとしますね。
それにトンカツソースをかけますね。それを丼のゴハンの上にのせますね。それを、
「ハイッ。ソースカツ丼。800円です」
と言って客に出したら客は、ハイ、そうですか、と言って800円払うと思います?客が、ハイ、そうですか、と言って800円払う何かがあるはずだ。
その何かとは何か。
その何かとは何かを探ろう。
群馬に行って探ろう。
典型的さだお的切り口である。確かにトンカツにトンカツソースをかけてご飯に乗せたものを丼というのはいささか乱暴すぎやしないか。何の工夫も特色もないじゃないか。
恐れていたことが現実になった。
急いでガイドブックに載っている他の三店の写真を見ると、一店だけトンカツの下にキャベツらしきものが敷いてあるが、他の二店はゴハンの上にジカとなっている。ゴハンの上にジカ、これがソースカツ丼の基本形であるらしい。
では、ソースカツ丼に失望したのか。
というと、旨いんですね、これが(p218)。
さだお氏の分析によれば、ソースカツ丼はソースにこだわっているらしい。
トンカツソースとウスターソースの混合に普通のカツ丼の和風の甘からダレを絡ませ、その甘からダレがトンカツ・ウスターソース連合に辛勝した味だそうだ。
なるほど。そのこだわり様が❝800円払う何か❞なのだろう。リサーチお疲れ様です。
おまけ
以上がメインテーマであるが、他にも二つ簡単に紹介しておく。
【許さん!爺さん奮戦記】p.57~71
当時流行っていた❝へそ出し❞に対して、さだお氏は「へそは既に終わったものの象徴なのだから、それを人前で見せるなんてとんでもない」論者である。
へそ出し女、すなわち腹部開示女は、物理的必然、ズボン的必然によって腹部の背面も当然開示されることになる。
腹部開示女は必然的に尻部開示女になる。
最近はズボンの下げかげんもかなり過激になって いて、かなりきわどいところまで下げているものもいる。
お尻の割れ目の割れ始まりのところまで下げているものもいる。
とても言いづらいことなのだが、わたくしはこちら側にはあまり反感を持っていない。というか、かなりの好意を持っているといってもいい。
学ぶべきものも、こちら側にはたくさんあるような気がする。
こちら側はもちろん過去の遺跡ではないし、終了したものでもないし、閉鎖されたものでもない。
むしろ、新たな生産につながる道筋を示す一本の線が、そこに始まっているとも考えられるのである(p.70)。
変態である。変態的文豪である。冒頭で「勢いが凄い」と書いたのは、こういう文章がすらすらと当たり前のように一冊の文庫に散りばめられているからだ。
真面目に変態を語る。うーん、実に素晴らしいことではないか。
もうひとつ行こう。
萌え萌えニャンニャン
【アキバ初体験】p72~87
自販機の「おでん缶」が流行っていた頃のお話だ。
あの頃は二匹目のどじょうを狙っておでん缶がそこらの自販機でも買えるようになってたっけ。懐かしい。
さだお氏は最近急激に様変わりしている秋葉原にお怒りだ。もともと電気街だったろ、と。いつの間にカタカナ表記の“アキバ”になったんだ、と。
「とりあえず❝萌え❞の牙城、メイド喫茶に侵入し、萌え萌え、ニャンニャンとか言って浮かれているメイド女を金棒でぶちのめしてくれようぞ」(p.76)
完璧なフラグを自ら立てていくー。というか、何で今回はこんなに女性に厳しいんだ。
「え?このぼくが?メイドさんとツーショット?いくらなんでもそれは・・・でもやってもらおうかな」
さだお氏ー!
メイドさんとアットホームで萌え萌えニャンニャンとかしなくちゃいけないのかな」
「アーンしてもらうためには コーヒーの他にケーキも取らないとね」
さだお氏の信念が崩壊していく。
結論、アキバをどげんかせんといかん、と思ったが、こげんことでよろしい。
落ちたな(確信)