うたかたラジオ

お代は“ラヴ”で結構です。

十年ぶりに『秒速5センチメートル』を観たら、案外悪くなかった件【AmazonPrime】

今週末7月19日(金)に新海誠監督の新作『天気の子』が公開されますね。

予習というわけではないですが過去作をいくつか観ておこうと思い、BADENDで有名な『秒速5センチメートル』をAmazonPrimeで視聴しました。

↓『天気の子』の記事はこちらから。

www.utakata-radio.com

『秒速5センチメートル』は実は過去に一度観たことがあります。

そのときは❝ながら見❞程度だったので「救いのない終わり方だったなぁ・・・」という印象以外は持たずに、まさか十年の時を経て(作品自体は2007年公開)観直すことになるとも思っていませんでした。

当時感じたことと同じであれば、恐らくわざわざ記事にすることはなかったと思います。

しかし、時を経た今抱いた感想はまた違ったものになっていたので、当時との比較をしながら語っていこうと思います。

『秒速5センチメートル』の構成

本作品の上映時間は63分と短い中で、更に3部構成になっており、それぞれ時系列を追う形で『桜花抄』『コスモナウト』『秒速5センチメートル』のタイトルが付されている。

『桜花抄』

舞台は東京の小学校。主人公・遠野貴樹(とおのたかき)とヒロイン・篠原明里(しのはらあかり)は精神的に似通っているところがあり、互いに特別な感情を抱き合っていた。

小学校で男女が仲良くしていればからかいの対象になるのは必然だが、彼らは共に惹かれ合い穏やかな日常を過ごす。

ところが小学校の卒業を控えたある日、明里は親の仕事の都合で栃木に引っ越すことに。

子供が携帯電話を持つのがまだ一般化していない頃であり、あれほど仲の良かった貴樹と明里の連絡が途絶えてしまう。

貴樹が中学校に入って半年した頃、明里から一通の手紙が届く。

これをきっかけに二人の間で定期的に手紙のやり取りが行われるようになった。

f:id:marurinmaru:20190715163849p:plain

しかし、その平和な日常は長くは続かず、今度は貴樹が遠く離れた鹿児島の学校へ転校しなければならなくなってしまう。

東京と栃木という距離でも大きな壁を感じるのに、栃木と鹿児島では物理的な距離として絶望的であり、もう二度と明里に会えないと感じた貴樹は雪の降りしきる栃木へ向かうのだが・・・。

 

『コスモナウト』

鹿児島・種子島での貴樹と澄田花苗(すみだかなえ)の高校生活を中心に描く。

花苗は東京から転校してきた貴樹に❝周りの男子たちとは違う何か❞を感じ、一目惚れ。

思いは募り募るばかりで、貴樹と同じ高校に進学したくて猛勉強をし、その成果は実る。

高校生になってからも貴樹を思い続ける花苗だったが、想いを告げることはできず、自己の進路すらどうしたらいいのか分からない。

趣味のサーフィンでも波に立つことができず、どれもが中途半端なやきもきした日々を過ごしていた。

f:id:marurinmaru:20190715164016p:plain

ある日、貴樹が発した❝できることを一つずつやっていく❞という言葉に勇気をもらった花苗は、念願の波の上に乗ることができた。

この目標が実現できた日に貴樹に自分の思いを告げようと考えていた花苗は、勇気を振り絞って言葉を出そうとするが・・・、言えず。

勇気が足りなかったのではない。貴樹が見ているのは自分なんかではなく、遠い遠い場所にいる誰かのこと。

花苗は自分の恋心が一生成就しなくても、彼のことは狂おしいほどに好きだということを胸に刻み付け涙する。

 

『秒速5センチメートル』

貴樹は社会人となり、東京で仕事に追われる日々を過ごしていた。その姿は鬼気迫るものがあり、明らかに❝何か❞が彼を突き動かしているようだ。

既に別れている、貴樹と3年間付き合った女性からメールが送られてくる。

「あなたとは1000回メールを送り合っても心は1センチくらいしか近づけなかった」

f:id:marurinmaru:20190715164218p:plain

彼が見てきた、彼が視線の先に見据える人は、ただ一人。初恋の人、明里だったのだ。

季節は春。貴樹と明里が小学生の頃に通っていた道を彼は歩いていた。

前方から歩いてくる女性と踏切の中ですれ違い、歩みを進める。反対側の踏切の外に分断された二人。

お互い特別な何かを感じ、相手も振り返ることは予期していた。振り返ってみると、視界を遮る電車。

電車が過ぎ去った後に、女性の姿はなかった。

 

結末に対する評価

当時の印象、現在の印象

冒頭でも書いた通り、初めて作品をみたときの感想は「報われない最後だった・・・」という喪失感や脱力感が支配的だった。

しかし、改めて見直してみると、「最期のシーンは果たしてバッドエンドだったのか・・・?」という感情が素直に湧いてきた。

確かに貴樹は小学校6年生の頃に栃木まで会いに行った大好きな明里のことが忘れられなかった。

高校時代に寄せられていた花苗の真っ直ぐな想いに気づかず、付き合った女性に対しても心あらずな振る舞いをしていた。挙句、想い続けていた明里は普通に恋をして、普通に幸せな結婚をし、家庭を作っていた。

何もかもを失って絶望的な可哀そうな男が一人残される。小学生の頃から時間が止まっていたのは貴樹だけだった、と。

ただ、それだけかと言えば決してそうではないと思う。ラストシーンで貴樹は微笑を浮かべるのだが、これが❝過去の呪縛からの解放❞に見えてならない。

f:id:marurinmaru:20190715164321p:plain

栃木で明里と気持ちを確かめ合ったその瞬間から、彼は「この恋は叶わない」と直感している。

明里と結ばれるのは自分ではないけれど、どうか明里に穏やかな日常を送ってほしい。執着と言えば執着であり、女々しいところは否定できないが、子供の頃に貴樹と明里が抱いていた特別な感情は、❝愛情❞と極めて近似した違うものだったのかもしれない。

そう考えると、「貴樹の手を離れた」という表現は適切ではないかもしれないが、少なくとも彼がこだわり続けていた凝り固まった感情は雨散霧消していったのではないかと思えてくる。

『君の名は。』のように最後まで一途な想いが繋がってハッピーエンドというのは見ていて心地がいいし、人にも自信を持って勧められるが、こういう終わり方も決して否定されるべきではないし、むしろ適切な着地点だったのではないかと感じるところである。

 

補足:一つの作品としてのまとまりはどうか

ラストシーンは前述したように、個人的に腑に落ちた。

一方でそこに至るまでの過程には様々な粗があり、疑問符が付くところも多いので、一応付記しておく。

何故平日19時?

誰しも感じるところだと思うが、何故平日の放課後を選択し、19時に栃木で会うことを提案したのか。

大人になってみれば、東京ー栃木間を移動することは造作もないが、小学校6年生が実行すると考えてみると大冒険に他ならない。

降雪で電車が予定通り着かないというハプニングや強風でせっかく書いた手紙が飛ばされたりして、全てが上手くいかないもどかしさが伝わってくる。それは分かる。

とはいえ、演出としてはあまりに不自然で、「何故その日を選択したのか」が謎である。土日の昼だったら平和過ぎてドラマが産まれないけども。

そして、電車は止まっていて帰れないから山小屋で一晩過ごすというのもあまりにも無計画すぎる。

豪雪の日に娘が出かけたきり帰ってこない(連絡手段もない)なんてことになったら警察の捜索活動必至である。

 

何故連絡を絶った?

貴樹は明里に執着して抜け殻の様な生活を送っているが、鹿児島に引っ越してから連絡を明里と連絡を取るような描写が何一つ描かれていない。

何のための携帯電話なのか。明里の実家に電話をかけるのは恥ずかしいかもしれないが、携帯の電話番号なりメールアドレスなりを聞けばいつでも連絡ができるじゃないか。

それすらせずに、想いを込めた空メールを打ち続ける貴樹の姿は狂気じみて見えた。

 

明里、実は貴樹のことをあまり好きじゃなかった説

明里側から何かアクションを起こすでもなく、貴樹の一方的な愛が空回りしている印象が強い。

あんなに仲良さそうやったやん、お弁当を作って駅の待合室で何時間も待ってたやん、手紙めっちゃ気合入ってたやん。

要するに、女性は強い。「恋は上書き保存」とはよく言ったものだ。

 

とはいえ

この他にも色々とツッコミどころはあるが、一言で言ってしまうと「最後まで何一つ劇的なことは起こらないが、それでも60分を飽きずに見せる」というのは流麗な背景描写や適切な挿入歌・BGMの力だけではないだろうと思う。

虚無という意味では『未来のミライ』に通じるところがあるが、こっちは観続けるのが苦痛だったものなぁ。

www.utakata-radio.com

まとめ

頼むぞ、『天気の子』。